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2014年5月1日木曜日

咳の病と、子どもの病気に効く神様

少し前に、熊本県で鳥インフル発生とニュースになった。

日本国内での鳥インフル確認は、確か東日本大震災があった年以来だと思う。
鳥インフルは言葉通り鳥が感染するインフルエンザであり、人間が感染するインフルエンザとは異なる。しかし、マレに人にも感染することがあるらしく、というか人間の感染するインフルエンザは鳥や豚など動物のインフルエンザが変異したものであるため、鳥のインフルエンザが発生するたびに警戒されることになる。ひとたび人に感染するウイルスに変異してしまえば、それは人間にとって未知のウイルス=新型インフルエンザとなる。抗体のない人類は感染拡大の脅威に直面する。

鳥のインフルエンザは、強毒型という症状の重いものから軽いものまで幾つかの種類がある。症状の軽いものは人間が感染しても通常のインフルと変わらないが、症状の重いものだと致死率6割以上というものまである。

鳥から人への感染がマレだとはいえ、人とウイルスの接触回数が増えるということは変異の機会が増えるということだから、厳重な警戒が必要となる。

私は鶏肉と玉子料理が大好きなので、このような騒動は困る。十分な加熱処理をすれば問題ないはずで、私も相変わらず鳥料理を食しているが、馴染みの飲食店に影響が出ないかと心配だ。


鳥インフルエンザとは別に、今、中東の方で懸念されているのはMERSコロナウイルスだ。致死率30%とも言われている。
1~2年前からサウジアラビア国内で警戒されいたこの新種のウイルスは、10年ほど前に中国を中心に世界中で猛威を見せたSARS(サーズ)と類似したウイルスだ。

世界中で、今もっとも感染拡大が心配されている感染症の1つだと思う。


インフルエンザにしろマーズコロナウイルスにしろ、どちらも高熱や呼吸器の炎症、肺炎のような症状が出る。

咳の病だ。

毎年流行する季節性のインフルエンザとは異なり、場合によっては致死率がふた桁レベルに達し、人々を襲う。
これらの新種のウイルスは、人の流れとともに広がる。
第一次世界大戦の時に、戦争による人の流れとともに世界中に拡散したスペイン風邪は、感染者6億人、死者は5000万人に達し、戦争以上の死者を出した。


グローバル化だとか言っている現代では、一度新しいウイルスが誕生したら、瞬く間に世界中に広がるだろう。

無論、このような感染症の流行は現代だけに限らず、過去にも何度もあったはずだ。


咳のカミさま、というのがある。

このカミさまは決まって私たちに身近な存在であり、むかしからアチコチにいらっしゃった。
やはり、こういった感染性の病の流行は、今と比べ物にならないくらいの切実なる恐怖だったんだろう。

そういった病の魔の手から助けてくれるカミさまだ。


東京都内にも、有名な咳のカミさまがいる。

例えば、墨田区の弘福寺というお寺の、爺婆尊。爺さんと婆さんの2体の石像だ。頼むと咳の病に効くという。

もともとは大名の屋敷にあったもので、百日咳で難儀する児童の親は、門番に頼んで拝みに入れてもらっていたという。
願掛けの仕方も変わっていて、こんな感じだ。

まず、必要なのは豆や霰餅の炒ったもの。これを煎じ茶とともに備える。
そして、始めに婆様に咳を治してくださいと頼み、次に爺様に「おじいさん、今あちらで咳の病気のことを頼んできましたが、どうも婆どのの手際では覚束無い。何分御前様にもよろしく願いまする」
そう頼んで帰ると、殊更よく全快するという。


江戸の頃には、なぜだか爺婆は仲が悪いとされていて、並べると必ず片方が倒されるということから、両者は離れて置かれていた。しかし今ではそんなことはなく、仲良く並んでいる。今では咳に効くという生姜の飴も売られているので、そう高くもないものなので試してみるのもいいかもしれない。

こういった咳に効くカミさまは、なぜだか「咳のおば様」だとか「しわぶき婆」、「姥神」だとか呼ばれて、各地にある。

例えば、私の住む川口市には私が把握しているだけで、3箇所に「咳のおば様」がいらっしゃる。西新井宿の姥神様、芝のしゃびき地蔵、慈林のばん神さま。それぞれ呼び名は異なるが、いずれも咳の病に効くという。私の知るだけで3箇所なのだから、実際にはもっとあるのかもしれない。で、1つの市内でこれだけあるのだから、全国各地にあるに違いない。


ところで、なぜこのカミさまは咳のカミさまとなったのか。
大抵の場合、このカミさまは婆さんである。

婆さんのカミさまが咳に効くカミさまへと至った訳としては、こんなことが言われている。

「咳の病を治してくれる神「咳婆(シャビキサマ)」は、もともと関の姥神であった。だからセキババは村の辻や山の峠、橋畔などに祀られ境を守る神であった。その関が咳に通じるところから、人の咳の病ばかり祈るようになった。」


関所の関ということで、村境などに祀られ、塞神(さえのかみ=道祖神)の「さえ」=塞(ふさ)ぐも同じではないかと言われている。セキという音が、咳に通じるという日本によくあるダジャレのようなパターンだが、こうした信仰が良くない風邪の病などが流行った時から広がったのではないかと思う。

私などは単に塞や関という意味以外に、石神の石の意もあったのではないかと思うのだが、しかし、単に音が似ているというだけでそう信仰され始めたのではなく、もともと姥神にそう信仰される下地があったのではないかと思われる。


では、姥神とは何か。

姥神と呼ばれるカミさまは、よく井の上、池の岸、泉のほとりなどに祀られていることが多い。咳に効く、とされない場合の「姥神様」でも、水と関連する場所などに多く存在している。例えば有名どころであれば浅草の近く。かつて姥が淵という池があり、悲しくも残酷な説話が残されている。石枕、一ツ家の伝説と呼ばれる話だ。

お話は浅草寺草創の頃のこと。浅茅ケ原の一軒家に老女と若い娘が住んでいた。道行く旅人に一夜の宿をかしては夜な夜な寝静まりに旅人の首を落す。そして身ぐるみはぎ取ってしまう。殺された人999人。これをみた浅草観音は若衆に変身して老女の一軒家に泊る。老女は例によって旅人をしとめるがあけてみてびっくり。殺したのは旅人にあらずしてわが娘なり、老女は大いになげき苦しんだ。千人目のお客で彼女は仏眼を開き、大きな竜となって池の中へ消えていった。この池を後世、姥ケ池というようになった。(台東区)


他にも各地に姥神もしくは類似する話が残っていて、「咳のおば様」の例として前述した西新井宿の姥神様も、もとは姥が池と呼ばれる池に由来する説話を持っている。いずれも水辺が近くにあり、悲しい話がついてまわる。

この姥神とは一体なんだろう?

これを考える上で参考になるのは、各地に伝わる大師講の説話である。
お大師様、つまり弘法大師(空海)が各地をまわり、杖でつついたりして水が湧き出るという類の伝説だが、「きっと近くの村にこういう言伝えがあって、それにはいつでも女が出てきます。その女がほんとうは関の姥様であったのであります」(柳田国男)という。

どういうことか。
端折って説明すると、「だいし様」と読んでいたのを文字を知る人たちが弘法大師と思うようになった。もとは「だいし」に漢字をあてるとしたら「大子」と書くのが正しく、これは「おおご」と言って、大きな子。すなわち長男という意味であった。この大子は児の神(神の子)であり、姥神は御母、御叔母といったような大子と親しみのある関係であった。

大子はその字や音から、時代とともに聖徳太子や弘法大師などへと移り、姥神も「うば」=女のことであったものを、老女のように考え出し、仏教の普及とともに奪衣婆、山姥などのイメージがついていった。しかし、双方とも決して新しい神ではなく、相当に古いカミなのではないか・・・と言われている。

確かに、姥神(咳のおば様)の多くは単に咳の病に効くだけでなく、子供の病に効くという話がセットになっている。

姥神とは子どもを愛するカミなのだ。


ところで、何故「うば」ガミと呼ぶのか。
これは私の想像だが、もともとは「産神(ウブガミ)」から来たのではないか。
産神とは出産の神とされ、箒神をそう呼んだり、また産土神(うぶすなかみ・・・土地の神として祀られている)と関連があるとされている。

この「うぶ(おぶ)」とは「たましい」と同じ意味だと思われる。

かつて海辺の村ではお産のたびに海近くに産(うぶ)小屋(産屋)を立て、その下には砂を敷いた。この砂をウブスナと言うのではないかとの話もある。

ともかく、姥神が水辺にいること、子の神との関連があり、更には子どもを愛する神であること。「うぶ」と「うば」の音の近さなどから考え、そこから姥神となってのではないか、と思える。


子どもな7つまでは神のうちと言われ、昔は生き延びるのも大変だった。タチの悪い流行病などが出ると、それを乗り切るのも運次第だったろうと思う。流行病はいつも境界の向こう側、他所の地域から入り込んでくる。だからこそ、その境界を「関の姥神様」に守ってもらう必要もあったのだろう。

姥神様はとても身近な場所にひっそりといて、そしていつでも子ども達を見守ってくれている。



今また鳥インフルエンザやMERSコロナウイルスという、油断ならない病気が影をチラつかせている。
神頼みとともに、最新の予防医療の力と、身近な感染症予防の知識で「いざ」を乗り切ろうではないか。


人体に危ない細菌・ウイルス 食中毒・院内感染・感染症の話 (PHPサイエンス・ワールド新書)

マスメディアが報じない 新型インフルエンザの真実 (中公新書ラクレ)

【参考】
日本の伝説 (新潮文庫 や 15-2)
日本の神々 (岩波新書)
埼玉県伝説集成―分類と解説 (1974年)

2014年3月14日金曜日

スーパードクターの縁切榎と飛不動。ご近所にはホームドクターを。

昨日のブログで「悪縁を切る方法」ということで、板橋の縁切榎(えんきりえのき)について書いた。

榎の木というのは夏の木と書いて表す。縁切榎も、かつて板橋宿として賑わった中山道で、夏の日差しを避ける絶好の木陰を提供していたはず。人々の集まる木だったんじゃないかと想像する。

縁切榎が切ってくれる悪縁は、夫婦恋人や隣人などの人間関係だけにとどまらない。

病気やお酒(禁酒)との関係も断ってくれると信奉されていた。
現在の縁切榎の絵馬にも、病気との悪縁を切ってくれるよう願うものもあった。


病気との縁を切るというと、以前紹介した台東区竜泉にある「飛不動」も似たようなご利益がある。

飛不動は飛ぶお不動さんと称されていて、かつて大峯山(奈良県)から空をぶっ飛び、一夜にして江戸の地まで舞い戻ってきたという伝承を持つ。
ゆえに、旅の守護の他に飛行護として航空関係者や、小惑星探査機「はやぶさ」の関係者に信奉されている。さらにゴルフ護、「落ない」で受験祈願としても人気があるのだが、悪い病を“飛ばしてくれる”という事でも信奉されていたらしい。

縁切榎で悪い病気と縁を切り、飛不動で縁を切った病を飛ばしてもらう、というコースで参拝するのはどうだろう?

電車で回るとしたら、こんな感じになる。

縁切榎から徒歩5分くらい
↓
都営三田線「板橋本町」
↓
「巣鴨」下車
↓
JR山手線「巣鴨」
↓
「上野」下車
↓
日比谷線「上野」
↓
「三ノ輪」下車
↓
三ノ輪から徒歩10分前後

電車の移動が約40分、参拝時間が各10分として、約1時間30分のコースかな。

神仏というのは色々なご利益があって、病気についても、わりと専門が分かれていたりする。現代の医学でいうところの専門医みたいなものだ。


例えば私の地元、埼玉川口でいえば、氷川神社は祭神が素戔嗚尊(スサノオ)なので、総合医。
で、足の怪我なら新井宿の子日神社。
歯痛なら、前川の愛宕さま。
咳(特に小児科)なら、西新井宿の姥神さま。
頭痛なら道合の浅間社(現在入れず)。
腹痛なら一本木の諏訪神社。
出産なら元郷氷川。柳崎にも子安観音が。
女性の性病なら石神妙延寺のお女郎さま。
眼病なら・・・

と、ここでは書ききれないほど、いろいろある。

川口市という特段寺社の多くもない場所でこれなのだから、各地にもたくさんあるのだと思う。

大きな有名神社に行くのもよいけれど、ほら、医療の世界でもよく言われるでしょう。頼れるホームドクターを持ちましょう、と。近場で主治医を見つけて、難しい病気の場合はそこから紹介状を出してもらって、別の専門医に診てもらう。

寺社仏閣も似たように、

「すいません、ちょっと足の怪我が尋常じゃないので・・・。
 何だか切ったり飛ばしたりっていう特殊な専門療法を持つ、縁切榎の大六天さまと飛不動という方がいるって聞いて・・・。
 もしご存知のようでしたら、ひと言、ご紹介いただけると心強いっす」

てな感じで妄想紹介状をもらって行くと良いのではないか、と。

2014年3月13日木曜日

悪縁を切る方法・・・どうしても離れたい人のために。

どうしても離れたい人がいる。
そういう人には、縁切榎をご紹介したい。


ここ数年、ストーカー殺人などの嫌な事件をたびたび目にする。
別れたいのにしつこく付きまとう。
挙げ句の果ては、凶行に及ぶ。
被害者や遺族の気持ちを思うと、まったくやるせない。


ストーカーに限らず、悪縁というのは色々とあるものだ。


人という字は人と人とが支えあって・・・なんて言われる通り、人は人との関係性なしには生きられない。

同じクラスの嫌な奴。
意地悪なご近所。
パワハラ上司。
DVを繰り返す配偶者。

社会に生きていれば、離れたくても簡単に離れることもできない。

色々と手を尽くして、最後にすがるのは、カミだ。


そう。
古来から伝わる最後の手段。
奥の手。
これを人は、神頼みという。

縁切榎は東京の板橋区にある。駅なら都営三田線の板橋本町駅から徒歩5~6分。中山道の、たぶんあそこは旧道かな。



とても狭い敷地で、境内は横に人2列になるとそれでいっぱい。

まず、目を引くのはこの狭い境内に大量の絵馬が奉納されているところ。
めちゃくちゃたくさんある。

内容を見てみると・・・正直、怖くなる。
実名で書いてあることが多く、「この●●に不幸が訪れ、私の目の前から消え失せますように」というような、隠そうともしないむき出しの恨みや呪詛が書き込まれている。

よほど縁を切りたいのだろう。

この縁切榎は良縁を結び、悪縁を断つということで、江戸の昔から信奉されていて、今だにテレビなどで紹介されることも多く、参拝者は結構多い。

実はここ、神社としては大六天神社である。大六天神社の御神木である榎の木が、縁切り榎というわけ。

もともとは江戸時代、旗本の近藤登之助の屋敷が向かいのあたりにあり、その垣根の際に榎と槻の古木があったそうだ。
その榎がいつの頃からか縁切り榎と呼ばれるようになり、嫁入りの際には縁起が悪いとこの下を通ることを敬遠されるようになった。将軍家へ嫁ぐような方も避けて通ったほどで、本当に広く話が伝わっていたのだと思う。

榎の木の皮を煎じて飲ませれば別れられるという俗信もあったようで、今の榎は削がれないように守られている。
ちなみに、今の榎は三代目で、先代榎は石に塗り込められている。

絵馬といい、埋め込まれた先代榎といい、何だか色々と異様な雰囲気を感じる社だ。

縁を切りたい。
その思いは、その願いを持つものにとって、本当に切なるものがあるのだろう。


ところで、世の中には「25人に1人、良心を持たない人がいる」と言われている。
25人に1人ということは、つまり4%だ。


良心を持たないというのは分かりにくいが、良心の呵責がないということだ。
つまり、人が傷つくことを平気でやれる人間。

自分の利が優先で、相手のことはかまわない。この“良心を持たない人”というのが攻撃的であった場合、いわゆる連続殺人犯となる。“良心を持たない”全ての人が殺人犯になるわけではないようで、表面上、普通に暮らして、殺しもせず、しかし人を傷つけて生きている。

良心の呵責がないのも当然だ。良心そのものがないのだから。


私たちの多くは、蚊を叩くのに躊躇しない。

しかし、もし仮に周りの目がそれを許さなかったら、少なくともひと目のある所では蚊を殺さないだろう。
犬将軍こと徳川綱吉の時代に犯罪率が低下して、更には犬を食べなくなったように、周囲の目というやつが抑止力として働くことがある。

それと同じことで、先ほど“良心をもたない人”は4%いると書いたが、これはアメリカでの数字。
日本では文化的に(おそらく、ムラ社会とか、周囲の目、空気とか、そのへんが原因?)それより大幅に少ないのではないかと言われている。

しかし、そういう種の人はいるわけで、しかもこいつらは表面上、魅力的に見えることが多いそうだ。なので、深い付き合いのない人から見るとその脅威が伝わらず、周囲の人になかなか理解してもらえないという。

もしこのような、手ごわい“良心を持たない”人間に出会ってしまった場合、どうするべきか。

この“良心のない人”について調べたマーサスタウト女史は、こう言っている。

「できるだけ遠くに、すぐに逃げろ」。

それしか方法はないらしい。

相手を変えるのは不可能。
周囲の理解や援助も難しい。
なので、逃げろ、と。
それしかない、と。

この「良心のない人」について知りたい人はマーサ スタウト女史の本が出ているので、興味のある人は読んでみるといいと思う。幸い、少し前に文庫で発売された。


良心をもたない人たち (草思社文庫)

まぁ、良心がない人とまではいかなくても、縁を切りたいという人はいるだろう。

縁を切るために、専門家の手を借りるなり、するべきことはしておくべきだ。
その上で、最後の最後には神頼み。
縁切り榎で願をかけよう。

ということで。

で、ようやくここからが私が一番興味のある部分なのだが・・・。
なぜ、縁切り榎の榎は「縁切り」となったのか。

先ほども書いたが、ここは大六天神社である。
大六天の神は、どちらかというと子孫繁栄に霊験ありのはずだ。
大六天と、「第」ではなく「大」とあることから、おそらく山倉山の大六天様だろう。
何かしらの願掛けをして、それが成就しての大六天神社だと推測する。

で、その大六天神社の、御神木ともいわれる榎の木。これが何故、縁切りの木になってしまったのか?

縁(えん)と榎、この関係は明白である(たぶん・・・(ーー;)わたし的には)。

つまり、榎→えのき→えんの木。
榎は縁の木と呼ばれることがある。

縁の木と、大六天。

これだけなら、どっからどう見ても子孫繁栄。どちらかというと、良縁の名所となるはず、と言うか、なるべきである。

ところが、なぜ縁は切られる方向に向いたのか?

元々屋敷のあったという近藤家に何かがあったのか?

今となってはわからない。

答えはわからないが、1つ参考にしたい話がある。
この板橋から少し離れた相模原(神奈川県)に、榎神社という社がある。

ここには照手姫伝説という話が伝わっている。

あらすじは、こうだ。

「ある時代・・・・この地に横山将監と言う豪族が住んでおり、照手姫はその娘として生まれ美女として誉れ高いお姫様だった。姫は美男で評判の小栗判官と恋仲になるが、皮肉な事に小栗は父の将監の敵方である。迷い悲しんだ末に、ついに姫は父を捨てて小栗のもとへ走ってしまう。しかし、戦国時代の武士の世界は厳しく、小栗判官によって姫の父親である将監とその横山一族は、滅ぼされてしまうのでした。照手姫伝説は、戦国の若い男女の悲恋物語で、恋愛は肉親の情をも断ち切る話として伝えられている。」
※照手姫伝説

榎神社の社名のいわれは、照手姫がさした杖が根付いたことからで、枝が下を向いた逆さ榎であったと伝えられている(現在の榎、こちらは二代目)。

さて、結論には至らないので保留だが、いちおう、現段階での私の見解。


板橋の縁切榎は、悪縁を断つ。
照手姫は、愛する人とは結ばれた(?)かもしれないが、悲劇の結末を迎え、肉親との縁は切られてしまう。
本来、縁の木ということで縁起の良い話につながりそうな榎に、こうした逆の話、つまり縁が切れる話があるのは、何故か?

それぞれの元となる古層の榎にまつわる説話でもあったのか、それとも「逆さ榎」で縁を逆にされた、とか?板橋の縁切り榎、初代は逆さ榎だったという可能性は、なくはない?

2014年2月21日金曜日

アチコチにある石の神様(お地蔵さん含む)は、実は奥が深そうという話。

今回は結構身近にあるのだが、なかなか気付かない道端の神さまについての話題で。


つい先日、東京は亀戸にある「石井神社」という神社に行ってきた。
ここの神社は結構古いらしく、もとは石神社といい、かつては御神体に石棒を祀っていたという。


ここは「おしゃもじ稲荷」として有名で、神社にはしゃもじが置いてある。咳の病にかかったら、この“おしゃもじ”を借りて家で拝み、治ったら新しい“しゃもじ”を添えてお返しするという風習がある。

“しゃもじ”関連の神社というのは全国に結構あって、以前、座間の方にある「おしゃもじ社」に行ったことがある。

“しゃもじ”に通じるのはご飯。なので、だから稲荷神社に多いのかなぁと思っている。

なのだが、“しゃもじ”にまつわる神社は、元々のところを見ると、石の神、つまり石神と関連している所が多い。冒頭の石井神社もそうで、先程も書いたけど、元は石の棒を祀っていたという。石の棒を祀るというケースは各地に多くあり、その信仰は縄文時代からのものと言われている。(シャグジ、ミシャグジ神、石神、石神井などで検索すればたくさん出てくると思う)


ところで、石の棒と言われると、どんな形を想像するだろうか?



まぁ、大体は男の“あの形”である。

石に限らないが、藁だったり木だったり、色々な素材で“あの形”(以下、面倒なので「きのこ」という)は表現される。ヤラシイ意味ではなく、生殖や出産というのはそれだけ神がかり的であり、大切なものだったのだろう。蛇や龍を藁で編んでいるケースも多々見かけるが、一部は「きのこ」に通じるんじゃないかと密かに勘ぐっている。



石の棒。
そして、その形状は「きのこ」だったとする。


であれば、ほら、“おしゃもじ”に通じるのではないか。

カタチ的に。

カンだけど、大体あっているのではないかと。


“しゃもじ”に関連する社・祠が、石井神社もそううだが、同時に咳に効くという伝承が伝わっているのが多いのは、やっぱり石→セキ→咳という変遷があったのではないかと思う。

石のカミ様だから、咳に効く、と。

実は咳の神様というのは各地の道端にたくさんある。
例えば私の住んでいる川口市にも、咳に効くという神様が、私の知る範囲でおよそ市内に3つはある。姥神様とかしゃぶき様とか名称は色々だが、ようするにお婆さんのカミさまで、咳の病気に効く。で、子供好きであることが多い。

都内にも墨田区の寺に有名な姥神様がいるし、埼玉の川越や浦和にもいたりする。多分、探せばもっとたくさんいる。(この姥神様については別途書きたいと思う)

この姥神様だが、夫婦神であるケースが多く、姥神様と並んで爺神様もあったりする。

つまり、どういう事か。

先ほどの石の棒に通じるのではないかー・・・と思うのである。

つまり、生殖や繁殖(出産)に繋がる、石の神である。

だから、姥神様は石で作られていることが多く、セキ(咳)の神でもある。ついでに言うと、セキから関所の関につながり、せき止める→塞き止める→塞の神として、村や辻などの境界に置かれることが多い。

道端の神さまといえばお地蔵さんだが、考えてみればホラ、お地蔵さんの形って、「きのこ」と似ているのではないか?だからこそ、お地蔵さんは「子供の守り神」なのではないか。石の棒がお地蔵さんに入れ替わったケースというのは、随分あったんじゃないかと推測する。


それにしても石の神というのは、古い古い時代の神であり、非常に奥が深い。


ところで、私の住む川口市には、石神(いしがみ)という地名がある。
地名由来は不明で、石の神を祀る社も見当たらない。しかし、この石神という地域は貝塚や遺跡なども多く、はるか縄文の頃から人々が暮らしていた歴史の古い場所である。

で、だ。
先ほど例として出した川口市内の姥神様の1つは、その石神との堺にある。
そして、冒頭の亀戸・石井神社だが、もとは石神社が石井という名称に変わったらしく、その変遷経緯(単に語尾が伸びたのか、それともシャグジが訛ったのか)はわからないが、川口の石神のあたりには、石井性が多いという点で、非常に興味深く思った次第である。


全国の石神、石神井という地名に住んでいる皆さん、どうでしょうか?

参考
・東京村

2014年2月17日月曜日

鳥越神社と平将門伝説

私はスピリチュアルとかオカルトを“好きになる素質”が、かなりある方だと思う。
素質というか、下地というか。

昔からUFO番組とか、心霊番組とかが大好きだった。
矢追さんやら韮沢さんやらMMRやらエリア51やらXファイルやらに興味を惹かれて、見たり読んだりしていた。

なのだが、どうも今一歩、踏み込めない。

というか、この手の話を信じきれない自分がいる。


私がこの手の番組を見る時、終始イチャモンをつけながら見ている。

「文句言うなら見なけりゃいいのに」
と、よく言われる。
だけど、見る。

夏場の心霊番組もたいてい見るけれど、途中で時間の無駄だと感じはじめ、全体の半分も見ないうちにチャンネルを変えることになる。だけど、また放送していれば、やっぱり見てしまう。

好きでこの手の番組を見ているがゆえに、出来の悪い内容だと我慢できないのだ。

特に、なんだろう、ここ最近の心霊番組は・・・。
貞子や呪怨といったジャパニーズホラーが流行って以降、同じような心霊ばっかりになった。アングル、顔の色、動き、目の剥き方、みんなどこかで見たようなものばかり・・・。


UFOも、そう。
宇宙人も、そう。
パワースポットも、そう。

歴史や神社関係にも、そういうモノが多い。

とある有名な古文書について調べた本で、【元某大手報道機関に勤めていたジャーナリストが、ニュートラルな立場で理路整然と調査をした、トンデモ系とは一線を画す】本だというので読んでみると、なぜか途中から、真実を知るために退行催眠を始める。著者が前世まで退行して、過去の真実を辿るという・・・。

立ち位置がニュートラルかどうか以前に、まず退行催眠を、まっとうな調査方法として受け入れられるかどうかという点で引っかかってしまう。

「そっかー。 前世に行ってまでして調べたんだから、事実っぽいよねー」

とは、どうしても思えない。
(一応、退行催眠については、私自身にジャッジする知識もないので、肯定も否定もしない。保留としておく。ただ、個人的に入りにくいという話・・・)


パワースポットも同様で、私自身がそこにパワーを感じないので、何ともしっくりこない。というか、パワーがよくわからない。パワーってなんだ?
静かな森の神社であれば、空気の良さ、自然に対する清々しさ、建物と巨樹に歴史と臨在感は感じるが、それってパワーなのかと言われるとよくわからない。
リフレッシュにはなるが、これがパワーをもらったという事なのだろうか??

もしかしたら、私のような考え方、感じ方は少数派なのかもしれない。
特に、寺社仏閣好き、歴史好きの人間からすると、私はマイノリティだと思う。


で、そのようなトンデモ系の話によく使われる有名人に、平将門がいる。平安中期の関東の豪族で、新皇を名乗り東国独立を夢見た。しかし、結局は討ち取られ、都でさらし首にされてしまう。


以前書いたとおり、午年にちなんで平将門関連の神社に回るのは、今年の私のテーマの1つである。
・馬関連ということで、平将門公を祀る明神社に。

で、先日行った鳥越神社は、実は平将門に関連する神社でもある。


鳥越神社は、かつて日本武尊が東国平定(・・・)のために滞在し、その後、前九年の役征圧(・・・・・・・)の折、源頼義・義家父子が白鳥明神の加護を感じた、というところから来ている。

祭神は、日本武尊、天児屋根命、東照宮公。


いっけん、平将門とは無関係のように見えるが、この鳥越という名称に、将門伝説が絡んでくる。どういう話かというと、

「鳥越は、将門の首が飛び越えたことから来ていて、“飛び越え”がなまって“鳥越”になった」

そのように、いつの頃からか噂されるようになったらしい。


将門の首はさらし首になったあと、関東へ飛び去ったとする伝説が残っている。その首が飛んでいった場所というのは諸説あるが、一番有名なのは大手町のビルの合間にある、平将門の首塚。

鳥越もそんな首塚伝説の1つではあるが、この鳥越首塚説には2種類あるようで、1つは首が飛び越えて行って、鳥越には将門の手が埋まっているというもの。この説については、ネットで見つけただけなので細かいところはわからない。

もう1つは、将門の胴体は神田へ飛んだが首は鳥越神社にとどまったというもの。江戸時代に詠まれた川柳から、この噂が当時、江戸で流布していたことが伺い知れる。

「鳥越で 食えば神田で 腹が減り」(寛政8年 古今前句集)

将門公は、江戸で人気があったんだなぁと感じるエピソードに私は感じる。



冒頭に書いたとおり、スピリチュアルやオカルトについては、決して嫌いではなく、むしろ好きになる下地が結構あると思っている。

少なくとも興味や関心はある。

しかし、できれば上手に騙してほしい。

あるいは、完全なるフィクションだということであれば、それはとても楽しめる。竜の柩も、Xファイルも、SPECも、どれも大好きで何度も見ている。

で、歴史上の将門公は好きだし、伝説上の逸話はフィクションとして大好きだ。都内各地に将門の身体が埋まっていて、それが結界として作用し・・・というのは、フィクションなら面白いが、信じられるかと言われると、まったく・・・。

そして私は、将門公は大怨霊として恐れられてもいるが、少なくとも市民に対しての怨霊ではないと思っている。

※参考
江戸東京魔界紀行
・鳥越神社(ウィキペディア)

完全なるフィクションなら抵抗感なく。

ファティマ第3の予言とか・・・。


アラハバキとか・・・。

2014年2月12日水曜日

征伐する側の事情、される側の事情。

ウィル・スミスが主演する映画に、「アイ・アム・レジェンド」という作品がある。

大筋のストーリー( ※注意!!ネタバレあり! )としては、



「2009年にガンの治療薬が開発された。治療薬は1万9人のガン患者に試験投与され、全員が助かったかに見えた。だが、試験投与された1万9人のうち5,000人から狂犬病のような症状が出始め、治療薬のウィルスが人間を死に至らしめる危険なウィルスであるK.V(クルピン・ウィルス)に突然変異していることがわかる。
K.Vの致死率は94%、6%は免疫を持ち生き延びる事が出来たが、5%は、全身の体毛と太陽光(紫外線)への耐性を失い、凶暴化して常人を遥かに上回る身体能力を得て、他の人間を襲って捕食する“ダーク・シーカー”に変貌してしまった。(ウィキあらすじ導入部より、一部修正)」

このウイルスは空気感染により広まり、多くの人は死んでしまうか、ダーク・シーカーへと変わってしまう。

ダーク・シーカーの見た目は、まるで吸血鬼とアンデッド(ゾンビ)をかけあわせたような外見で、元々は人間であるにも関わらず、意思疎通が難しいように見える。

無人の廃墟となってしまったニューヨークで生き残ったウィルスミス演じる主人公の医師は、ダークシーカーを生け捕りにしては、治療のための血清づくりの実験を繰り返していた。血清ができれば、ウイルスに感染しても助かるかもしれない。ダークシーカーも、元の人間に戻れるかもしれない。そして、人類は救われるかもしれない。
そんな主人公の医師に、ダーク・シーカーの群れは執拗に攻撃を仕掛ける。


 ダーク・シーカーは常人をはるかに超える身体能力を持つものの、太陽の光を嫌うので、主人公は上手に危機をかわしつつ、誰も生き残りがいないかもしれない世界で、孤独に、人類を救う戦いを続ける。


そんな彼は最終的に、奇跡的に生き残っていた親子と出会い、そしてダークシーカーを人間に戻せる血清テストに成功するのだが、襲撃してきたダーク・シーカー達に襲われ、血清を親子に託し、ダークシーかを道連れに自爆して死んでしまう。
その後、親子はその血清を手に人類の生き残りのコミュニティに無事、たどり着く。


以上が映画のストーリーで、つまり彼は世界を救ったレジェンド(伝説)の人となるのだが・・・。


このストーリーは映画館で上映されたもので、実はもう1つのエンディング、アナザーエンディングがあるという。


私の知る限り、この映画は2回、テレビでも放映されていた。
しかい、いずれもエンディングは上記のとおりであった。

アナザーエンディングはDVDに収録されているという。


このもう1つのエンディングを見ると、まるで結末と作品から受ける印象が変わってくる。
というよりも、これまで見ていた世界観が変わるというか、パラダイムがシフトするというか、まるっきり別の印象になってしまう。


どういう内容なのか、簡単に説明すると・・・。

ダーク・シーカーが襲ってきた理由は、主人公の医師が、群れのリーダーの恋人を生け捕りにしたため。
恋人を取り返すために、執拗に、猛烈に、なりふり構わず攻撃を仕掛けてきていた。
その事に気がついた医師は、治りかけていた(人間に戻りかけていた)恋人に、ダーク・シーカーに戻るウイルスを投与し、群れのボスに返す。


どういう事なのか?

おそらく、ダークシーカーたちはダークシーカーとして、すでに人間とは別の者として生きて生活をしている。
その彼らからしたら、人間の方が怪物なのであり、人間である主人公の医師は、自分たちを襲い、拉致し、実験道具にし、化物になる薬を投与するモンスターである。
その怪物から、愛する恋人を救出するために戦っていた、ということになる。

サルが人間を襲い、サルに戻そうとしたら、私だって抵抗する。
「おいおい、本当はお前、サルなんだぞ?」
と言われてもゴメンだ。


見る立ち位置が変われば、世界が変わる。


うろ覚えだが、確か「7つの習慣」だったと思うが、こんなエピソードが載っていた。

「電車の中で、父親と子供たちが乗ってきた。子供たちは車内で大騒ぎでうるさく、なのに、その父親はぼうっとしているだけで、注意しようともしない。
いい加減、あたまに来た私は彼にひと言いった。なぜ、子供たちを注意しないのか。
 すると、彼はハッとしたように顔をあげ、こう言った。
 すみません、実はあの子達の母親が今日死んでしまって、あの子達も戸惑っているんだと思います・・・実は私自身、何も考えられない状況で・・・。」
(※うろ覚えなので、細部が違うかもしれませんが、気がつき次第、修正します)

何事かある時には必ず原因というか、理由があるもので、普通の異なる言動があった時に、「何か事情があるのかな?」と推し量ることができるのは、世界中で多分(少なくとも現時点では)、人間にしかできないことだと思う。


それが、想像力というものなのかもしれない。


ところで今日、東京都台東区鳥越にある、鳥越神社に行ってきました。

このあたりには、日本武尊や、源氏が奥州に攻め入った事に由来する話がとても多い。


攻め入る方、攻められる方、色々な立場がある。

どっちが正しいということが勧善懲悪、すぐに判明するほど簡単なものでなく、もしかしたら私の祖先は「討伐される側」だったかもしれない。

例えば節分の豆まきに不可欠な鬼だけれど、彼らは「鬼は外」と言われ豆を投げつけられ、外へと追い払われるわけだけど、また彼らは桃太郎に征伐されるわけだけれど、鬼には鬼の言い分があるのかもしれないし。


そもそも、鬼はたくさんの財宝を持っていたと言うけれど、パンツ一丁のみすぼらしい格好で、とても都の貴族のように優美な生活を送っているようにも見えないわけで・・・。
もう身成だけで言えば、桃太郎の方が高めの衣装だと思うのですが。


神話から歴史まで、国譲りの神話、神武東征、日本武尊の東征、蝦夷の平定、平将門の乱の鎮圧、などなどこれまで色々あったわけだけど・・・。

もちろん、私のご先祖さまはガッチガチの、征伐する側であったかもしれず、単純に片方に感情移入できるわけでもないのだけれど、日本の歴史というのは、多分にハイブリッドな要素のあるコンガラガッタ歴史かもしれないと思うわけで・・・。

というような事を、たまには考えてみてもいいのかもしれないと思うわけです。

2014年2月10日月曜日

髪の毛にご利益ありと思いきや。

少し前に「毛長神社」という神社を知って以来、色々と考えることがある。


そもそも、毛長(けなが)という名称については、「毛長川」という川の名前としては以前から知っていた。この流域には古墳が多いらしい。私の住んでいる川口市から都内に向けて流れている川で、古墳の時代から交通の要所として栄えてきたらしい。

舎人の方へ行く用事があり、偶然、毛長神社という名前を知った。


神社の名称として毛長が使われていることで、

「もしかして、髪の毛にご利益ありか?」

と興味を持った。


男性なら必ず、“髪の問題”に興味を持つ時期はあるはずだ。
ご利益があるのなら、ぜひお願いしますというところだ。


ちなみに、北区の王子神社の境内に、関神社という神社がある。

ここは「髪の祖神」と崇められていて、一部の噂には毛生え祈願で来る人も・・・という話もあるが、私は騙されない。
そもそもここは蝉丸法師がカツラを考案したところからスタートした神社だし、毛髪供養のための毛塚があったりする。どっちかというと、というか正直、理美容師やカツラ業者側の立ち位置であり、カツラ業者にご利益をと考えると、薄毛の人にとっては反対の方に作用しそうじゃないか。

ということで、注目が集まったのが毛長神社。

毛が長いと書くだけあって、いかにも期待が膨らむ。


ところがところが、毛長の由来を調べたところ、

「とある女が不幸な理由(破談やら自然災害など)により、沼で命を落とす。後日、流れず漂っていた長い髪を、きっと女のものだということで丁重にまつりあげた」

というような話だった。
・女の髪を祀る毛長神社と毛長沼の謎


話の照準が、毛に集中しすぎている。

というか、残っているのが、毛しかない。

毛が失われるのは悲しいが、毛以外が失われる方がもっと嫌だ。


これは“毛”とは名につくものの、抜け毛予防やら養毛にご利益なんていう、軽い話ではないようだ。

意外すぎる、というか思いのほかに重い話だったのでびっくりした。というか、ちょっと怖い。髪の毛だけが漂うに至る人体のプロセスを想像すると、ゾッとする。

しかしながら、この話にはいくつかバリエーションがあるようだが、いずれも怨念やら祟りやら怖い話系の方につながっていない点から考えるに、きっと丁重に供養されたか、或いは御神体とされた毛そのものと女の死には直接の関連がないのかもしれない。という方向性でお願いしたい。


それにしても、沼や池にまつわる話には、女性が身を投げるような話が多いように思う。

私の地元である川口市には、こんな話が伝わっている。

「ある時、お殿様一行がやって来た。お殿様の子供も馬に乗っていたのだが、運悪く落馬してしまい、命を落としてしまった。乳母はたいそう悲しがり、近くにあった池に身を投げて死んでしまった」

この池は姥が池と名付けられたが、かつて7~800坪近くあったとされるが、江戸の末期の時点でほとんど埋められ僅かに形ばかりになっていた。今では当然、跡形もない。



今ではあまり想像できないけれど、かつての関東の低地のあたりでは、そこかしこが水辺だった。江戸時代の初期の頃までは、多分そうだったと思う。

埼玉には大宮から川口にかけて見沼という大きな沼があったし、千葉と茨城の堺のあたりは、(今でも割と多いと思うが)沼やら川やらが本当に多い。東京も、日比谷のあたりまで湊が入り込んでいて、江戸城の目前にまで海が迫っていた。

それらは埋め立てられ、町になったり、水田や畑に利用されるようになる。


沼なんかが多かった時代は、子供なんかの事故も多かったんじゃないかな~と思う。
溜池やら川であれば、溺れてしまったら遺体は上がる。
でも、沼だとどうだろう?

水田利用されているような場所なら、或いは割と見つかりやすいかもしれないが、大きな沼で泥の深い所にはまってしまうと、長期間見つからないかもしれない。

神隠しの何割かは、そんな事故が関係しているのかもしれない。


沼というと暗くジメジメとしたイメージがまとわりつく。私たちの中に、沼にまつわる悲しい思い出が刷り込まれているのかもしれない。



今回、この毛長の話を書くにあたり、困ったことが1つだけある。

神と変換しようとすると、髪が出てきてしまうところだ。

例えばカミカクシと入力しようとすると、髪隠しと出てしまう。


髪の呪いかもしれない。

毛長神社の記事を書いた翌々日に、都知事選で舛添氏が当選したことも、何か関係があるのかもしれない。

2014年2月7日金曜日

女の髪を祀る毛長神社と毛長沼の謎

人の身体の部位において、古来より髪の毛と爪は不思議なものとして見られてきた。

髪と、爪。
この2つの部位は、目に見えて成長する部分である。

なので、髪と爪には霊力が宿ると見られていたし、だからこそ、呪いの作法においては髪や爪を対象者の代わりとして人形に埋め込んだりする。


この髪の毛にまつわる不思議な神社が埼玉県草加市にある。

毛長神社だ。

なんと、この神社の御神体は、髪の毛だ。

女の髪の毛。

しかも、その女は不幸な死に方をしている。

不幸な死に方をした女の髪の毛を祀る神社・・・。
なんとも不思議な感じがする。


尚、後述するが、現在では御神体の髪の毛は紛失してしまっている。


御神体が髪の毛だとすると、それでは何の神なのか。

毛長明神というところなのだろうが、もちろんそんな得体のしれない神を明治時代の宗教界に吹き荒れていた風潮が許すはずなく、祭神は大己貴命(おおなむち)に改められ、倉稲魂神・別雷槌神と併せて祀られている。

が、やはり毛長明神は毛長明神だろう。
本来の神は、髪を寄り代とするナニモノかのカミなのだろう。


髪の毛を埋めた髪塚などはあれど、髪を御神体にというのも珍しい。どのような経緯で、そんなことになったのか。ここには幾つかの由来が伝えられている。

先ほどチラリと書いたけれど、これはこの御神体(髪の毛)の持ち主である、とある女の不幸な死に方にまつわる話だ。


話の大筋を、これ以上ないくらい短縮して書いておこう。

「とある女がいた。不幸な理由により、沼で命を落とすことになる。後日、沼で髪が見つかる。死んだ女の髪だということで祭り上げた。」

これは、毛長神社の由来であるとともに、この地域に流れている毛長川(毛長沼)の名称の由来につながる話となっている。
とてもざっくりと書いてしまったが、この話には少なくとも5つ以上、類似した話が伝わっていて、それぞれが微妙に異なっている。(それぞれの話については、最後にまとめて紹介しようと思う)


例えば、女の素性については、次のとおり。
・万郷長者の娘
・万石長者の娘
・長者の娘
・醤油屋の娘
・素戔嗚尊の妹

亡くなった理由について。
・自然災害(万郷長者、万石長者)
・嫁ぎ先(もしくは、嫁ぐ直前)で不仲になり、沼に身を投げた(長者)
・土地の人々の難儀を救うために沼に身を投げた(醤油屋)
・悪者のために身ごもり、それをはかなんで沼に身を投げた(素戔嗚尊の妹)

髪の毛を発見し、祀ろうとした主体。
・村人(万郷長者、万石長者)
・遺族と村人
・太田道灌(素戔嗚尊の妹)


と、まぁ色々なバリエーションがある。
ちなみに、万郷長者・万石長者の話では、亡くなるのは娘だけではなく、一家全員である。一家全員が突然の-「急に黒雲が起こり、天地が鳴動し、つむじ風が起き、屋敷と家族が巻き上げられ沼に飛ばされて沈んでしまった」・・・というように、今の時代で言うなら竜巻のような自然現象にて全滅してしまうのである。

後日、数尺(1尺は約30cm。一説には六尺、つまり180cmとも)という長い髪が沼に漂い、まったく流れていかない。きっと長者一家の娘のものだろうということで、祀ったという。

嫁ぎ先で不仲になり、身を投げたという話の場合は、嫁いだ先は隣の村という設定だ。不仲になった理由は2通りあって、1つは嫁ぎ先の両親とそりが合わず、或いは赤ちゃんができず思い悩み、嫁ぎ先との関係が悪くなったというもの。もう1つは、女の出身の村(新里村)で疫病が流行り、それを嫌がられたというもの。

ちなみに、この女の出身はかつての新里村で、今の草加市新里町だが、相手の男の村は隣にある舎人村、今の足立区舎人である。
この2つの市区の境界となっているところに、毛長川が流れている。
この毛長川はかつて毛長沼といって、新編武蔵風土記稿によると11町以上の広さという大きな沼だったらしい。

ちなみに、毛長川は私の地元である川口市を水源とする川であり、また、見沼代用水(東縁)が行き着くあたりになっている。


この舎人には、舎人諏訪神社というのがある。

新編武蔵風土記では、

「舎人町に祀られている諏訪社を男神と称し、毛長明神社を女神と称する」

とある。風土記稿では“毛長”の女にまつわる話は書かれていない(神体が髪の毛というのは書かれている)のだが、風土記稿が書かれた1800年初期の時点で少なくとも、この2社を男・女の社として見ている点は興味深い。

なお、舎人諏訪社は鳥居からの参道に対し、神社は若干ずれた方向を向いて建てられている。その理由は、毛長神社に向けさせたためだという。つまり、夫(男神)に配慮したのだろうということだ。

しかし、この配慮説については、私はちょっと納得いかない。なぜなら女神は男神の方を向いていないし、男神が女神の方を向きたがる強い思いというのが、現在伝わっているところの話などからは見当たらないからだ。
風土記稿の伝えるところによると、この舎人諏訪社には、夫婦杉と呼ばれる2本の杉の木があったという。しかし、見沼代用水をつくるとき、この2本の杉の間に溝を引いてしまった。以来、土地の人は婚期を逃すということでこの道を避けるようになったという。思うに、この夫婦杉があり、そこから色々な話を取り込んで配慮説に発展したのではないか、という気がする。


と、色々なバージョンのある、この毛長神社である。

肝心の御神体がないというのは残念だ。
今の技術なら、髪の毛を分析し、時代やら人の特徴やらを解析できたかもしれないのに。

この御神体の紛失に関しては、2つの説がある。
1つは、別当である寺院の住職が持ち出してしまったというもの。何でも鎌倉に持ち出し、その地で毛長神社を建てたという。もう1つは、「このような不浄なモノを神体とするのはあるまじき事」として、沼に捨てられてしまったというもの。

なんてことしやがるんだ、と思う。


ともかく、この毛長神社(というか、毛長という名称自体)のいわれは、いずれにしろ、不可思議というか、すんなり納得しにくいものである。

女の、しかも不幸な死に方をした女の髪の毛を祀るという行為。
持ち去られた、或いは捨てられてしまった御神体(髪の毛)。

これだけ見ると、怨霊を恐れて祀られたようにも見えるのだが、それにしては祟り的な話はほとんど伝わらず(私の知っている範囲では、舎人側の方に1つだけある。→こちらのバージョンの話)、むしろ哀れんで、というか、大切にされている気すらする。

本来であれば小さな塚を築くか、供養塔を立てるか、あっても小祠程度なのが普通であると思うのだけれど、やがて村社にもなり現在にも残る、ある程度の規模の神社として今に残っている。この点も不思議に思う。

ここは私の想像だが、もともと、社すら建てられていないはるか昔に、何かしらの理由で女神を祭っていたのではないだろうか。そこに、本当に女の髪の毛なのかどうかわからないが、髪の毛(らしきもの)を女神のものとし、依り代とした。その後、長い月日を過ぎるうちに、自然災害で長者の家族が被害にあったり、或いはとなり村に嫁いだ娘が不幸な目にあったり、ということが起こった。やがてそれらの話は、口承されるうちに混ざり合い、現代へとつながってきたのではないか、と思うのである。

尚、毛長という名称については、次のような説もある。
毛(け)は新字源によると、草木・穀物などが生えるもの、或いは生えること、とある。「ぬ」は湿性、当て字として野や沼が当てられる。毛野川→鬼怒川と同じである。水気の多い水性植物の茂っている土地で、こういう水たまりを「ヌマ」と称した。「長」はものの形状を表す意であり、つまり毛長沼とは次のような意味ではないかという。

「水性植物の生えている長い沼」

漢字が当てられると、自ずと印象が付着する。
武蔵もそうだ。


と、しかし今に伝わるそれぞれの話が作り話とも思えず、何かしらの事実を元にしているのではないかと思う。それが毛長という名称、毛長神社とどのように絡まり、形成されてきたのか。とても興味深いところである。

現時点では、私の力ではこの辺が限界であり、引き続き、頭の片隅に置きつつ、本件は継続して調べてみたいと思う。

尚、以下に毛長神社にまつわる話のバリエーションを紹介します。

が、今これを書いていいる時点(2014.2.7)で疲れてしまったので、順次追記で書き足していく予定です。。。すみません。。

(追記2014.2.10)

【新編武蔵風土記稿】 

●新里村 毛長明神社
毛長沼の辺りにあり。沼を隔て、舎人町に祀れる諏訪社を男神と称し。当社を女神と称せり。古は髪毛を箱に納めて神体とせしが。何の頃にやかかる不浄の物を神体とするはあるまじきことなりとて。毛長沼に流し捨てしと言伝う。神号も是より起こりしにや。又毛長沼の辺に鎮座あるによるか。

●舎人町  諏訪社
西門寺の持なり。此社地に夫婦杉と唱へてニ樹ありしが。三沼代用水堀割の時。このニ樹の間に溝を開きしより。土人婚嫁の時前を過るはきらいしとて。此道を避けると云。此杉今は枯い。

【新里村毛長神社由緒・明治2】
字毛長沼之縁ニ建来候毛長明神之屋敷と申者、許万郷長者と申百姓之屋鋪也、此百姓之勧請し奉る毛長明神也、其家潰れニ付、其家大神宮稲此三神を祭、是則毛長三社大明神と号ス。
(以下、略)

【地誌材料稿・明治22】
(意訳)
当毛長神社は古い昔、毛長沼の辺りに万石長者なる者が住んでいたが、「或時俄然黒雲ヲ発シ、天地鳴動シ、暗黒トナリ咫尺弁ゼザル(※)ニ至テ飄●(※風に韋)起リ」、長者の家と家族は巻き上げられてけながぬまに沈んでしまった。残されたのは大神宮の御祓い一本だけ残され一家は亡絶した。これを里の人は悼んで御祓いを長者が祀っていた稲荷の祠に合祀した。その後しばらくして、この祠の前の毛長沼の岸に数尺の毛髪が漂ってどうしても流れていかない。なので、当時長者の家に処女がいたので、たぶんその娘の髪だろうということになり、拾い上げて箱におさめ、前の祠へ合祀して毛長三社大明神と号した。
その後月日がたっていつの頃か、別当の泉蔵院の者が毛長神社の神体とする毛髪を、鎌倉に持って行き、同地に毛長神社を祀ったという。

※咫尺弁・・・咫尺(しせき)を弁ぜず→ごく近い距離も見えない

【ふるさと埼玉県の民話と伝説】
・むかし毛長明神の裏にしょうゆ油屋があり、その家に三十三尋(約1.8m)の毛の長い娘がいた。土地の人々の難儀を救うために、今の毛長沼に投身して死んだ。この娘の髪の毛を神体として祀ったのが、毛長明神である。(飯田氏)

・出雲から東国にくだったスサノオノミコトに、妹の姫神がいた。ここまで来て悪者のために身ごもったので、それをはかなんで今の毛長沼に投身してしまった。
時を経て戦国の世のことである。太田道灌がこの地方の開拓をした時、長い毛に突き当たった。詮議の末この髪の毛がスサノオノミコトの妹姫のものと知れたので、これをふしぎとした道灌は、神体として神に祭った。これが毛長明神である。(石田氏)
ふるさと埼玉県の民話と伝説 (県別民話シリーズ (3))

【草加市】
・毛長川の名前の由来
・毛長沼(広報草加)

【舎人地域学習センター】
・毛長川の起こり

2014年2月5日水曜日

平安の鬼才・小野篁を祀る神社は芸の上達にご利益あり

先日、飛行機の安全を守る「飛ぶお不動さん」でお護りをいただきに行った際、以前から気になっていた小野照崎神社にも行ってきた。

小野照崎神社は学問・芸能の上達にご利益ありということ。
※上のツイート分上の「六歌仙の一人」というのは間違いです。

この小野照崎神社は前述の飛不動から割合近く、と言っても地下鉄で1駅分くらいは離れているが、台東区下谷という場所に鎮座している。

駅でいうと、地下鉄日比谷線の入谷駅から徒歩2~3分、JRの鶯谷からだと少し歩くかもしれない。

この神社、興味深いのは御祭神が小野篁であるというところ。

小野篁(おののたかむら)とは平安時代の文人で、百人一首の詠人でもあり、色々とすごい人、鬼才です。今でも歴史好きの、特に歴女には人気(?知り合いにはいないので本当かどうかはわかりませんが)らしく、熱狂的なファン(?)もいるとか、いないとか。

どのくらいの鬼才かというと、清貧をとおしながら反骨精神に溢れ、しかし類まれなる優秀さを発揮し、野宰相、野狂などと称され、更には夜毎に井戸を通って地獄へとおもむき、閻魔大王のもとで裁判を補佐したという常軌を逸した働きマンぶり。

とにかく色々なエピソードが伝えられていて、小説や漫画などに登場することも多いお人です。

ちなみにエピソードの1つに、小野篁が嵯峨天皇を怒らせてしまい、嵯峨天皇から
「子子子子子子子子子子子子」
が読めるかと問われ、うまく読んで事なきを得たというエピソードが残っている。


子孫に有名な小野小町がいることから、さぞかし優秀な一族だったのだろうと推測できる。

ちなみに、子孫には武蔵七党の猪俣・横山党などもいるらしく、ということは、武蔵の国に住まう我らにも決して縁のない方でもないのかもしれない、かもしれない・・・・・・。


境内には立派な富士塚があった。

高さ5メートル、直径16メートルあるという。
これだけ立派に残っている富士塚も珍しい。

飛び不動・・・航空安全から合格祈願まで見守るお不動さん

私たちの周りには、目には見えないけれど空気がある。

この空気というものにも、ちゃんと重さというものがあって、例えば1cm2の広さの空気を、地面から大気のてっぺんまで切り取った場合(長い空気の柱を想像してください)、その空気の重さは1kgになるらしい。



この地球には重力があるので、全てのものは下へと引っ張られる。

雲にも当然質量はあり、ふわふわ浮いているわた雲も、1つあたり数十トンもの重さがあるという。
しかし、雲は水蒸気の集まりなので、気圧によって生じる浮力により、浮いている。

雲は昔から浮いているし、鳥も昔から飛んでいる。昔からそうなのだ。理屈は関係なしに、昔からそうなのだから、そういう(飛ぶ、浮かぶ)ふうに、できているんだと納得できる。

しかし、飛行機は歴史が浅い。

・・・正直に告白すると、今だに飛行機が怖い。

と言っても、乗れないほどではない。年に数回乗る機会がある。
けれど今だに毎回、特に離陸と着陸のときには緊張する。

座席は必ず指定する。
ひそかに、この座席なら万が一の事故の時に安全なのではないかと推測しているあたりの座席を、毎回しっかりと確保している。降りるとき早く降りれないかもなんて些末な事は気にも止めない。
離陸時、着陸時には、衝撃に備えてお腹とベルトの間に毛布を入れ、いざという時に素早く安全な態勢に移れるよう神経を張り詰めている(力を入れすぎるのも良くない)。

飛行機がなぜ飛ぶかという一応の理屈については、「はいはい、それはもうわかった」という感じで、ある程度理解している。
しかし、それでも尚、不安を払拭してリラックスできる心境にはなれない。

ということで、航空安全の守り神、「飛不動(とびふどう)」へ行ってきた。

飛不動こと龍光山正宝院は東京都の台東区竜泉にある。
電車で行く場合、日比谷線三ノ輪駅から10分程度だろうか。

ここは空飛ぶお不動さまとして、飛行護・航空安全、旅の守り神として信仰されている。航空関係者の参拝も多いという。

なぜ、飛行護となったのか。
その由来は次のとおり。

“当寺は1530年に本山派修験僧の正山上人によって開かれた修験系天台宗の単立寺院です。正山上人は修験道の聖地、和歌山県熊野から奈良県吉野にいたる大峯山で修行後、諸国を巡歴しました。そして竜泉のこの地で、村人に宿を施してもらったある日のことです。
一筋の光と共に立ち昇る龍の姿を夢見ました。龍の夢はお不動様のご加護を象徴します。そこで上人は投宿の世話をしてくれた村人達の息災延命と、自らの旅の安全を祈ってお不動様を刻みこの地に奉安しました。 
創建後まもなくのことです。この寺の住職が修行のため、ご本尊のお不動様を笈で背負い、はるばる大峯山まで運んだ事がありました。
ある日、ご本尊が留守の江戸の寺にお不動様の分身を携えた人々が集まり、お不動様を観想し一心に祈願しました。
すると、お不動様は一夜にして大峯山から江戸に飛び帰り、祈った人々の願いを叶えて下さいました。それ以来、「空を飛び来て、衆生を守りたもう、お不動様」飛不動尊と呼ばれるようになりました。”<飛不動 縁起より>
 なぜ住職はご本尊を背負って行ったのか、また、住職不在の時に集まった人々は何を必死に祈願していたのか、という邪推は置いておいて、ともかくお不動様は信奉する人々のために空を飛んで戻ってきてくれた。そりゃ、人々の気持ちを鷲掴みしますよ。

ということで、私もしっかりお守りをいただきました。


これで、飛行機に乗るための出来る限りのリスクヘッジは完了した。
あとは信じて、次の搭乗機会を待つ。


ちなみに、お守りは当山のウェブサイトからも申し込みできます。
・飛不動ウェブサイト

また、「よく飛びますように」ということで、ゴルフ護に。
あるいは、「落ちない」ということで、受験祈願という方も多いようです。

飛行機に乗って受験に行く、なんて場合は最強かもしれませんね。

2013年11月28日木曜日

初夢祈願にぜひ!駒込の富士神社

関東にはたくさんの富士山がある。
といっても、本物の山ではなく、富士山を模したミニチュア富士のことで、江戸時代に人気の出た富士塚のことである。

東京23区にもたくさんあって、その中の1つ、文京区駒込にある富士神社に先日行ってきた。


なかなかの大きさで、狭くて急な階段を上ると頂上部分はかなり広い。
お鉢めぐり(山頂を一周すること)はゆったりとできます。
高齢者や足の不自由な人だと、登るまでが大変かな。

この富士神社はもともと旧本郷村(東大の方)にあって、寛永六年(1629)にここに移ったという。

ではその時に富士塚も盛られたのかというとそうではなく、もともとが前方後円墳だったらしい。古墳の上に神社を築くというのはよくあることだ。
たとえば、よく鎮守の杜(もり)などと言われるが、もとは、供養のために遺骸の上に土を盛り、そこに大きくなる木を植えるという民俗から、「土を盛る」から「木」の方に視点が移り、モリという語が形成されたのではないか、という説もある。
民俗神の系譜―南九州を中心に (1981年)

日本各地にあるモリという聖地を考えると、古墳の上に社が建てられるというのは自然な成り行きではないだろうか。

ところで、初夢に見ると縁起がいいと言われることわざで、「一富士二鷹三茄子」がある。江戸時代、駒込にはこの全てがあると言われていた。

一富士の富士は言うまでもなく、先の富士神社こと富士塚。
二鷹の鷹は、かつて鷹匠屋敷が現在の駒込病院のあたりにあったという。
三茄子のナスは、江戸時代には駒込ナスとして大変有名だったらしい。

現在、鷹匠屋敷と駒込茄子の姿は消えてしまったが、富士の山だけは今も立派にそびえ立つ。

もうすぐ1年が終わる。
いい初夢が見られるよう、駒込富士神社に初詣に行かれてはどうだろうか?
JR山手線、もしくは南北線「駒込駅」から徒歩10分くらいかな。ちょっと歩きます。


大きな地図で見る

2013年10月24日木曜日

王子稲荷のおもかる石

先日、東京の北区王子にある「王子稲荷」に行ってきた。
私の住んでいる川口市から王子は近く、かつて将軍様が日光社参で通った「日光御成街道」の道筋でもある。

そんな距離感からか、王子には色々と縁があって、わりと頻繁に足を運んでいる。

JR王子駅の近くには、2つの大きな神社がある。

1つは王子神社で、この王子という地名のもとにもなった神社だ。
境内には関神社というのがあって、面白いことに髪の祖神として崇められている。髪の祖神ではあるが、カツラ業界などから崇敬を集めているので、「髪の毛ふさふさ」のご利益は期待できないかもしれない。


もう1つの大きな神社が、王子稲荷だ。
ここは関東の稲荷の総社ともいわれ、大晦日には諸国の狐が集まるという重要な神社だ。

この王子稲荷、最近テレビドラマで取り上げられているらしく、先日行ってみたら女性の参拝者をチラホラと見かけた。

そのドラマというのは、「よろず占い処 陰陽屋へようこそ」というタイトルで、現在ぜっさん放映中である。主演が関ジャニ∞の錦戸亮さんということで、女性の参拝者が増えているのだろう。

話はそれるが、以前、上野御徒町のとある公園で、ドラマの撮影現場に出くわしたことがある。2人の若い俳優がいて、周囲には女子学生の見物人が溢れていた。

俳優の顔をみても、最近の芸能人にうとい私には顔と名前がわからない。見物していた女子学生が「まるちゃん、まるちゃん」言っていたので、あとでググってみると、同じく関ジャニ∞の丸山さんだということがわかった。なんだかとても気さくそうな人だったぞ。
ちなみに、もう1人の俳優は斎藤工さん。

そんなこともあって、「関ジャニ∞」は「かんじゃに むげんだい」と読むのではなく、「かんじゃに えいと」と読むということも学習した。


その関ジャニ∞の錦戸さんが出演するドラマの舞台ということもあって、もしかしたら王子稲荷の初詣客は倍増するかもしれない。

少なくとも、参拝する人が増えるだろう。

実はこの王子稲荷は色々な意味で奥が深く、見所が色々とある。
参拝するさいに是非おすすめしたいのが、「おもかる石」だ。
「御石様」、あるいは「願掛け石」と言って、境内の奥の方のお社にある。

この石、願をかけて持ち上げてみる。
軽く感じれば「可」または吉、重く感じれば「否」という占いのできる石である。

実はこの手の「おもかる石」というのは全国色々なところにあるのだが、かといって何処にでもあるというものでもないので、体験したことのない方はぜひオススメしてみたい。

2013年9月17日火曜日

松の木に光るもの

ツイッターでは過去につぶやいたことがあるので、あえて伏せる意味はないかもしれないが、東京都の某所に、とある天祖神社がある。


天祖神社ということは、天照大神を主祭神とする神社であり、かつては神明社だったようだ。境内には龍神や稲荷神なども祀られている。

さてこの神社、江戸時代からあるようなのだが、伝承によると、
「この境内には大きな松の大木があり、時折、その松に光るものがあった。村人たちはそれを祀っていた」

という話が伝わっている。

この光るものとは、いったいなんなのだろう?

最寄駅の図書館でこの神社について調べてみようと思ったが、新しく開館(新装?)したためか、郷土関連の資料が少ない。少ないながら調べてみると、この神社については次のようなことが書かれていた。

  • 元禄十(1697)年に鎮座。古記録では深川鎮守本宮別神霊(深川森下町鎮座天祖神社)の分霊を勧請。
  • 同地域には天祖神社が2社あり、どちらもすぐ近くに子育て地蔵が祀られていて、どちらも“松の木”に関わる伝承がある。
思わせぶりに書いているが、この2つの天祖神社について何か秘密を掴んでいるわけでもなく、面白い推理があるわけでもないのを正直に告白しておこう。

にしても、同じ地域に天祖神社が2社あり、どちらも松の木に関わる伝承があるというのは面白い偶然だ。当社に伝わる伝承は先に書いた「光るもの」だが、もう1社の方は「洪水に流された時に松の大木に掴まって助かった」というようなものであり、伝承の性質も異なれば時代も異なる。ただ、とても大きな松があった・・・という点にのみ共通するだけだ。


それにしても、当社の村人が祀っていた「光るもの」とは一体なんだろう?


たいていの神社の祭神は、後付けされたものがほとんどと考えていいと思う。
例えば、これは出雲の場合だが(孫引き)、

「延喜式」の神名帳を見てもおよそ64%が祭神不明の神社となっている。それが享保二年(1717)の「雲陽誌」以降になると、祭神はほとんど判明してしまう。ということは、祭神不明社にあっては、おそらっく中世以後、あらたに記紀などから得られる著名な神名を祭神に当てていったことを物語っていると西宮は言う(島根の神々)。
 ※参考:日本の神々 (岩波新書)
 

出雲に関わらず、どこでも同じ傾向はあると思う。
例えば我が埼玉の、というか武蔵国の一宮、大宮にある氷川神社だって、古くはアラハバキを主祭神にしてた可能性は高いし、もっと古くは見沼の水の神を祭っていたのではないかと思うのだが、今はご存知のとおり素戔嗚尊となっている。

だとしたら、先の天祖神社のもともとの神はなんだろう?

立地で考えると、当地は江戸期に新田として開発された地である。そして、かつてはすぐ近くに大河と海があった(今も大きな川があるが、昔はもっと距離が近かった)。

当社には龍神・水神が祀られているので、もしかしたらそれが古い神かもしれない。


だけど、そうすると「松の木に光るもの」とは一体何モノか、ますますわからなくなる。まさか松の木に絡まる龍の光る目をみたわけでもあるまい、とは思う。

ところで以前、私は夜の氷川神社(新井宿)で、フクロウらしき白い鳥を見たことがある。見間違いだったかもしれないし、フクロウではなく別の鳥だったかもしれないが、少し離れた場所から見たその大きな鳥は、白く光ってみえ・・・ないこともない。もしかしたら、フクロウや、あるいはホタルなどが松の木にとまり、何かしらの理由があって祭っていたのかもしれない。

まさか、本当に光る神霊や、宇宙人・UFOが来ているわけでもあるまい、とは思う。

もう1つの可能性として、私は随分昔に読んだ「モチモチの木」を思い出す。



この天祖神社にある松の大木にも、モチモチの木に火が灯るように、そんな風景や忘れ去られた物語があったのかもしれない。

或いは月待ちか・・・。
伊勢神宮近くにある二見浦の夫婦岩から昇る太陽よろしく、松の木に映える満月や太陽を信仰したのかもしれない。だとしたら、太陽にしろ月にしろ、天照大神との関係は強いことになる。

いずれにせよ、松の大木はすでになく、真相はいつもと同様わからず終い。

2013年7月17日水曜日

西新井大師と胡録神社

今日は西新井大師に足を伸ばした。

東京都足立区西新井にあるのだが、この地名は、私の記憶が確かなら、新しい井(戸)の西にあるから西新井という由来だったと思う。

それであれば埼玉県川口市にある新井宿も、新しい井なのかと思うが、このあたりは定かではない。新井という地名は埼玉や東京のあちこちにあるが、川口の新井宿はその立地のほとんどが高台にあるし、宿とつくわりには宿場であった記録がない。

ただ、川口市にある西新井宿はかつて新井宿村から分村され、西の冠をつけることになったらしく、何の縁があるのかわからないが、現在、西新井宿にある宝蔵寺という寺は、私の記憶が正しければ、西新井大師と繋がりがある。


ところで、西新井大師から南西におよそ1キロほど行ったところに、胡録神社という神社がある。
今日は時間がなかったので足を伸ばさなかったが、ここも中々興味深い神社だ。
舎人ライナーという路線の江北駅のすぐそばにある。この神社、もともとは第六天を祭っていたという。

胡録神社という名の神社は、千住、松戸、市川のあたりにいくつか点在していて、一部では地名にもなっているらしい。

第六天を祭っていた神社の多くは合祀されたり、名称や祭神を変えたり、あるいは消えてしまったりしてその姿を変えてしまっている。

色々と理由はあると思うが、大きな出来事の1つは間違いなく幕末から明治にかけての神仏分離・廃仏毀釈の流れにあるのだろう。

本来の信仰が非常にわかりにくくなっている。

さてこの神社、今はどうかしらないが、私が行った時には、鳥居に蛇(龍)を模した注連縄のようなものが巻きつけられていた。写真も撮っているので機会があれば再度アップしたいが、なんともユーモラスな表情の龍蛇だ。

龍と関係があるのか?
龍といえば水辺だが、水辺であれば女神であることも多い。しかし、ここは千木・鰹木を見るに、男神のようだ。

ここにもきっと、色々な歴史があるのだろう。
時間のあるときに、改めて調べてみたいと思う。

2013年6月27日木曜日

謎多き日本の神々・・・屋根を見れば神様の性別かわかる!?

今日は野暮用があり、六本木⇔赤坂のあたりをうろちょろしていた。
六本木といえば日本を代表する国際的繁華街だが、むろん私の出没する場所はニギヤカサが通常のそれらと異なる。ひっそりとした場所を好む私は、自然と木々の見える場所へど移動していく。

そう、乃木神社に寄ってきました。

六本木ミッドタウンの北。
乃木坂駅ちかくに、乃木神社はある。

乃木神社とは、言うまでもなく明治の軍人、乃木大将を祀る神社だ。
明治天皇崩御の際に、奥様とともに自刃。夫妻が自刃した屋敷の隣に、乃木神社はある。
乃木坂というくらいだから、ここは坂道になっている。乃木坂と名付けられる前は、幽霊坂とよばれていた。赤坂・六本木界隈は坂道が多い。

ご祭神は無論、乃木夫妻。

お参りをして、神社の屋根を見て、違和感を感じた。

「あれ?・・・この神社、女性神を祭っていることになっているのか?乃木夫妻なのに・・・!?」



ところで、1つ前のブログ記事で「伊勢神宮の天照大神は男性神という噂がある」ということを書いた。

理由はいくつかあり、例えば有名な天岩戸の話で出てくる岩戸。重たい岩の戸なのだが、それをどけるためには力持ちのカミ、天手力男命の力が必要だった。ところが、天照大神は外のどんちゃん騒ぎが気になり、あまりに簡単にその岩戸を開けてしまう。ひょっとして怪力?しかも外でストリップしているのが気になってしまうなんて、まるで男みたいじゃないか・・・

といったような神話からの感覚的な不自然さ、その他、斎宮にまつわる伝承などに、男を思わせる部分がある。

それ以外にも、これは天照ではない外宮の話になるが、外宮も食物をつかさどる女神のはずだが、その社の千木・鰹木が男神をあらわしている、というような不思議さがある。


千木・鰹木というのは、神社の屋根の上にある木の組み合わせ(のようなもの)だが、千木の形状、鰹木の数によって、その社で祀られているカミが男性神か女性神かわかる、という見方がある。

例えば、千木が水平に削られていれば女性神、垂直であれば男性神。鰹木が偶数なら女性神、奇数なら男性神。
となる。

これが、なぜか女神を祀る伊勢神宮の外宮で、千木・鰹木ともに男性神を示しているのだ。

伊勢の謎は深い・・・。


ここで乃木神社の話に戻るが、乃木神社の社の千木・鰹木が、女性神を示しているのだ。
千木は内削ぎ(水平)で、鰹木は6本、つまり偶数。

夫妻なのに?


まあ、千木・鰹木の見方(というか法則)は完璧なものではなく、例外があると言われている。
他の神社にも、どうように祀られている祭神と千木・鰹木の解釈が合わない例はある。


しかしそんな時、

「これには何か理由があるのではないか?」

そう考えられるようになると、神社まわりがより一層楽しくなる。


「もしかして、祭神の交代があったのではないか?」

「そもそも祀られていたカミは、異なるのではないか?」

「今以上に信心深い、昔の人々が、いい加減なことをするわけがない」

「何か理由があるはずだ」

「もしかして、境内に謎をとく鍵があるかもしれない・・・!!」


なんてね。

いい頭の体操になりますよ。

無論、一気に飛躍して空想の世界まで飛んでっちゃうと問題かもしえませんが・・・。


謎が残っているのって、楽しい。

日本の神社、神様には、謎がいっぱいである。

2013年6月22日土曜日

夏至の日に考える、縁結び・子宝の神様

もうすぐ日付が変わってしまいそうだが、本日6月21日は夏至だった。
言うまでもなく、夏至(げし)とは、一年中で一番昼が長い日。 二十四節気の第十。つまり、日(太陽)の力が最大限に発揮される日なのだ。

太陽と言えば、天照大神。日の巫女だ。
アマテラスといえば、そう、伊勢神宮。
伊勢神宮のおひざ元、三重県伊勢市の二見浦にある夫婦岩では、夏至の時期だけ夫婦岩の間から朝日がのぼる。ゆえに本日、当地二見興玉神社の夫婦岩前では、恒例の禊ぎを行う夏至祭が行われたようだが、あいにくの雨だったようだ・・・。日の力がマックスの日なのに残念だ・・・。


ところで、この夏至の日というのは、目を諸外国に向けてみると色々と面白い行事が行われている。何でも北半球では歴史的に、夏至といえば「性欲をかき立てる日」とされているのだそうだ。

・至は男女の出会いの日? 欧州の伝統行事(CNN)

男性性器のシンボルと思われる柱を囲んでダンスを踊ったり、未婚女性が未来の男性を占ったりと、国によって色々あるみたい。日本でも夫婦岩にてお祭りがおこなわれるくらいだから、もしかしたら似たような意味合いがあったのかもしれない。

ところで、イギリスの有名なストーンヘッジでは、ドルイド教に由来する夏至祭りが行われる。ドルイド教とは、現在ではほとんどは失われてしまった昔の宗教だが、例えばハロウィンなどドルイド教に由来する風習は今でも形を変え生き続けている。
原始ハロウィンの考え方は、日本で言えばお盆や正月に通じるとところがあるし、木々や自然に神性を見出すところなんて日本の縄文文化と通じる。遠くにあるが、何やら近いものを感じる不思議な宗教だ。

そのドルイド由来の夏至祭り、男性神と女性神を表す太陽と地球との出会い祝う意味が込められているという。

あれ?

男性神が太陽で、女性神が地球なんだ?

日本では逆ですね。

アマテラスは女性神なのだから。

そういえば、もともとのアマテラスは男性神だったなんて説があったな。


まあ、いいか。


ともかく、夏至の本日は男女に関わる日であるというのが、世界の共通項の1つなのでした。

ちなみに、伊勢神宮では天照大神を祀っていますが、夫婦岩の方の二見興玉神社の祭神は、猿田彦大神と宇迦御魂大神です。

伊勢神宮、天照大神、夫婦岩、猿田彦、宇迦御魂大神、男性神と女性神、天と海・・・。伊勢神宮にかかわる謎は大きすぎて、私の手には負えません。


さて、夫婦岩の夫婦で思い出しましたが、東京にも夫婦にかかわる神社があります。
私好みの小さな神社なのですが、場所は新宿区。最寄り駅の新大久保から徒歩10分ほど行った住宅地の中にひっそりとある、夫婦木神社です。

祭神は伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)で、日本をつくった最初で最強の夫婦ですね。イザナギはアマテラスの親でもあります・・・。

子宝、安産、縁結びで知る人ぞ知る非常に有名な神社で、結婚式もやっているみたいですが、境内はとても狭い。

夫婦木神社というと、山梨にも同名の神社があり、こちらも有名な神社のようです。この山梨の方には男性・女性の性器のような霊木があるようですが、このような繁殖に対する神聖視が、そもそもなんでしょうね。石仏・道祖神や、東北などにある藁でマラをつくっているのと同じ始まりなんじゃないかと思います。

しかし、イザナギ&イザナミのカップルは、確かに子宝はあるものの、縁結びと安産にいいのだろうか・・・という捻くれた疑問が湧き上がったが振り払い、そう言えば我が町、埼玉県川口市には似たような神社がないだろうかと考える。


子宝といえば、新井宿の子日神社が上げられると思う。と言っても子日神社は子宝で信仰されていないのだが、子であるネズミは多産で子供をたくさん産むため、“子(ね)”の神社は、子宝子孫繁栄を願う意味で信仰されやすい。

また、第六天神社も子孫繁栄で信仰されてきた。しかし残念なことに、明治の神仏分離によって第六天のほとんどが姿を消している。末社としてひっそりと境内の隅に鎮座しているか、あるいは境内には既に姿はなく合祀されてしまっているか。
川口市内の第六天神社は次の通りである。
・西立野の二宮神社
・元郷の氷川神社
・領家の稲荷神社
・金山町の川口神社
・青木の氷川神社
・小谷場の稲荷神社
・柳崎の氷川社
・鳩ケ谷の氷川神社


夫婦といえば、姥神さまを思い出す。
姥神さまは西新井宿にある。日光御成道沿いで、石神地区のすぐそばだ。
言っておくが、姥神さまはやきもち焼きと言われているので、夫婦で行くのはタブーだ。なので縁結びも何もないのだが、実はかつて姥神さまには旦那さんがいた。道路の反対側に爺塚があったはずなのだが、現在行方不明だ。

うちのお爺さんが行方不明です。
どなたか知りませんか?


取り留めのない話になってしまった。

上記の事については、いずれ改めて。

2013年6月20日木曜日

足立区の平野神社

平野神社という、鳥居もない小さな神社が東京の足立区にある。

足立区役所から徒歩10分ほど。
最寄りの駅からだと、徒歩20分はかかるだろう。

駅から離れた住宅地のなかに、静かに鎮座している。

祭神は猿田彦。


この平野の地は、各村の飛び地の集まりだったらしい。
故に、村の土地の神様、鎮守の神というのがなかった。

とはいえ、先祖代々、昔からここに人は住んでいる。

だから、この村の人たちは自分達にも鎮守の神社、村社が欲しいと願った。

そこで、昔からあった庚申堂の建て直しにともない、自分たちの神社をつくるために奔走したらしい。そしてこの平野神社ができあがった。


自分達の神社、村の鎮守が欲しいという気持ちは、今の現代に生きる私たちにはわかりにくいポイントかもしれない。

しかし、ご先祖様達がかつて願ったその強い想いは、今の現地で改めて再燃しているらしい。この地域の周辺を歩くと、神輿をかつごうとか、地域活動に参加しようという呼びかけだとか、地域社会の絆を強めるような呼びかけ、動きがあちこちに見られた。


今日、6月20日は梅雨らしい雨が降っていた。
私は東武線の梅嶋駅から歩いて平野神社まで行き、お参り。
ちょっとしたきっかけで、近隣に住む方からお話を聞く機会を得た。

この平野神社、前身となった庚申堂は、現平野神社よりも少し北寄りにあったらしい。
いま、その場所は住宅になっていた。

更に詳しい話は、●●さんに聞くといいと教えてもらった。
この●●さんは、かつてこの辺り一帯の土地を広く所有していたらしい。

しかし、元来小心者の私は、このような雨の日に見知らぬ個人宅にお邪魔するのは迷惑なのではないかと恐縮し、今日のところは遠慮することにした。

せめて、晴れた日に再訪しよう。

自分達の土地の神様、鎮守の神社を持つということは、どのような意味があったのか。
それを実感レベルで感じ取るのは難しい。

が、そのような強い想いがかつてあったのだ。
そう願う、何がしかの理由が、昔の人々にはあったのだ。