素質というか、下地というか。
昔からUFO番組とか、心霊番組とかが大好きだった。
矢追さんやら韮沢さんやらMMRやらエリア51やらXファイルやらに興味を惹かれて、見たり読んだりしていた。
なのだが、どうも今一歩、踏み込めない。
というか、この手の話を信じきれない自分がいる。
私がこの手の番組を見る時、終始イチャモンをつけながら見ている。
「文句言うなら見なけりゃいいのに」
と、よく言われる。
だけど、見る。
夏場の心霊番組もたいてい見るけれど、途中で時間の無駄だと感じはじめ、全体の半分も見ないうちにチャンネルを変えることになる。だけど、また放送していれば、やっぱり見てしまう。
好きでこの手の番組を見ているがゆえに、出来の悪い内容だと我慢できないのだ。
特に、なんだろう、ここ最近の心霊番組は・・・。
貞子や呪怨といったジャパニーズホラーが流行って以降、同じような心霊ばっかりになった。アングル、顔の色、動き、目の剥き方、みんなどこかで見たようなものばかり・・・。
UFOも、そう。
宇宙人も、そう。
パワースポットも、そう。
歴史や神社関係にも、そういうモノが多い。
とある有名な古文書について調べた本で、【元某大手報道機関に勤めていたジャーナリストが、ニュートラルな立場で理路整然と調査をした、トンデモ系とは一線を画す】本だというので読んでみると、なぜか途中から、真実を知るために退行催眠を始める。著者が前世まで退行して、過去の真実を辿るという・・・。
立ち位置がニュートラルかどうか以前に、まず退行催眠を、まっとうな調査方法として受け入れられるかどうかという点で引っかかってしまう。
「そっかー。 前世に行ってまでして調べたんだから、事実っぽいよねー」
とは、どうしても思えない。
(一応、退行催眠については、私自身にジャッジする知識もないので、肯定も否定もしない。保留としておく。ただ、個人的に入りにくいという話・・・)
パワースポットも同様で、私自身がそこにパワーを感じないので、何ともしっくりこない。というか、パワーがよくわからない。パワーってなんだ?
静かな森の神社であれば、空気の良さ、自然に対する清々しさ、建物と巨樹に歴史と臨在感は感じるが、それってパワーなのかと言われるとよくわからない。
リフレッシュにはなるが、これがパワーをもらったという事なのだろうか??
もしかしたら、私のような考え方、感じ方は少数派なのかもしれない。
特に、寺社仏閣好き、歴史好きの人間からすると、私はマイノリティだと思う。
で、そのようなトンデモ系の話によく使われる有名人に、平将門がいる。平安中期の関東の豪族で、新皇を名乗り東国独立を夢見た。しかし、結局は討ち取られ、都でさらし首にされてしまう。
以前書いたとおり、午年にちなんで平将門関連の神社に回るのは、今年の私のテーマの1つである。
・馬関連ということで、平将門公を祀る明神社に。
で、先日行った鳥越神社は、実は平将門に関連する神社でもある。
同じく蔵前の鳥越神社。鰹木5本、男千木。狛犬が細マッチョで格好良すぎる。この辺は日本武尊や前九年の役に関連する縁起が多い。 pic.twitter.com/TiME3F9S4d
— 上根 又三郎 (@k_matasabur) 2014, 2月 12
鳥越神社は、かつて日本武尊が東国平定(・・・)のために滞在し、その後、前九年の役征圧(・・・・・・・)の折、源頼義・義家父子が白鳥明神の加護を感じた、というところから来ている。
祭神は、日本武尊、天児屋根命、東照宮公。
いっけん、平将門とは無関係のように見えるが、この鳥越という名称に、将門伝説が絡んでくる。どういう話かというと、
「鳥越は、将門の首が飛び越えたことから来ていて、“飛び越え”がなまって“鳥越”になった」
そのように、いつの頃からか噂されるようになったらしい。
将門の首はさらし首になったあと、関東へ飛び去ったとする伝説が残っている。その首が飛んでいった場所というのは諸説あるが、一番有名なのは大手町のビルの合間にある、平将門の首塚。
鳥越もそんな首塚伝説の1つではあるが、この鳥越首塚説には2種類あるようで、1つは首が飛び越えて行って、鳥越には将門の手が埋まっているというもの。この説については、ネットで見つけただけなので細かいところはわからない。
もう1つは、将門の胴体は神田へ飛んだが首は鳥越神社にとどまったというもの。江戸時代に詠まれた川柳から、この噂が当時、江戸で流布していたことが伺い知れる。
「鳥越で 食えば神田で 腹が減り」(寛政8年 古今前句集)
将門公は、江戸で人気があったんだなぁと感じるエピソードに私は感じる。
冒頭に書いたとおり、スピリチュアルやオカルトについては、決して嫌いではなく、むしろ好きになる下地が結構あると思っている。
少なくとも興味や関心はある。
しかし、できれば上手に騙してほしい。
あるいは、完全なるフィクションだということであれば、それはとても楽しめる。竜の柩も、Xファイルも、SPECも、どれも大好きで何度も見ている。
で、歴史上の将門公は好きだし、伝説上の逸話はフィクションとして大好きだ。都内各地に将門の身体が埋まっていて、それが結界として作用し・・・というのは、フィクションなら面白いが、信じられるかと言われると、まったく・・・。
そして私は、将門公は大怨霊として恐れられてもいるが、少なくとも市民に対しての怨霊ではないと思っている。
※参考
江戸東京魔界紀行
・鳥越神社(ウィキペディア)
完全なるフィクションなら抵抗感なく。
ファティマ第3の予言とか・・・。
アラハバキとか・・・。
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