最近、ツイッターを始めた。
PCであれば、このブログの右側に表示されていると思う。
埋め込んだのだ。
私は完璧にツイッターの使い方を間違えていると思うのだが、記録メモ代わりにとっても便利だ。
思いついたことを画像付きで書き残せるのは本当に便利。
「短文でなければならない」という制約が、またいい。
私は毎日のように何処かしらの寺社を歩いて回っている。
例えば、一昨日の7/17は、西新井大師に。
昨日7/18は、日比谷神社と門仲の八幡宮、それと成田山新勝寺の東京別院である深川不動堂。で、本日7/19は、葛西の香取神社。
今までは、行くという行為そのものをそのままに消化してしまい、そこで感じたこと、思いついたことは、そのまま忘れ去っていた(馬鹿みたいだが、私は記憶力の弱い阿呆である)ので、その都度、簡単にメモれるツイッターはとても便利だ。
普通のメモ機能だと、後から綺麗に編集したくなってしまい面倒になる。手書きのメモだと無くしてしまう。
まあ、ツイッターは一般に公開されているものなので、そこには私がまだ気づいていない色々な不便、危険もあるのかもしれないが、しばらくは新しい道具として使ってみようと思う。
【処或縁起】武蔵国(現在の東京~埼玉)を中心に、埋もれてしまった土地の記憶、人々の想い、「とある話」を収集しています。ちょっとした「とある話」を再記録&再記憶する作業。誰ひとり、記憶するものがいなくなるのであれば、せめて私だけでも・・・。話題は、地元である埼玉県川口市の神根地区に偏る可能性、大?
2013年7月19日金曜日
2013年7月17日水曜日
積み重ねのない行為はもったいない
ほぼ毎日のように何処かしらの神社を訪ね歩いているのに、ブログに書く暇がない・・・。
という悩みをもっていた。
積み重ねのない行為はもったいない。ただ思い出として消費するだけではなく、何らかの記録を残していきたいと感じている。
なので、備忘録がわりにツイッターをはじめることにした。
・・・。
実のところ、ツイッターの機能について、私はよくわかっていない。
よくわからないが、登録→ブログへの設置は簡単にできた。
簡単に始められるから、ツイッターもこれだけ広がったんだろうと思う。
それにしても、今になってツイッターを始めるなんて、本当に“今更”の感がある・・・。
が、神社とかを訪れて、タイムリーに何かを残せるというのは、とても便利な気がするし、魅力的だ。
先ほど、「積み重ねのない行為はもったいない」と書いた。
これは最近、本当に強く感じていること。その日その時の感動として、思い出として記憶の何処かに仕舞うのもいいけれど、記録や知識を積み重ねることによって、見えてくる新しい何か、繋がってくる発見があるものだ。
ツイッターで記録を残すだけでなく、極力ノートにも記すようにしようと思っている。
もちろん、このブログにも記していきたい。
心はカタチをもとめ、カタチは心を求める。
思い出の引き出しを開けるのも、思考するのも、記録として形づけられた文字が重要なフックになることも多い。
さて、今日はどこの神社に行こうか。
という悩みをもっていた。
積み重ねのない行為はもったいない。ただ思い出として消費するだけではなく、何らかの記録を残していきたいと感じている。
なので、備忘録がわりにツイッターをはじめることにした。
・・・。
実のところ、ツイッターの機能について、私はよくわかっていない。
よくわからないが、登録→ブログへの設置は簡単にできた。
簡単に始められるから、ツイッターもこれだけ広がったんだろうと思う。
それにしても、今になってツイッターを始めるなんて、本当に“今更”の感がある・・・。
が、神社とかを訪れて、タイムリーに何かを残せるというのは、とても便利な気がするし、魅力的だ。
先ほど、「積み重ねのない行為はもったいない」と書いた。
これは最近、本当に強く感じていること。その日その時の感動として、思い出として記憶の何処かに仕舞うのもいいけれど、記録や知識を積み重ねることによって、見えてくる新しい何か、繋がってくる発見があるものだ。
ツイッターで記録を残すだけでなく、極力ノートにも記すようにしようと思っている。
もちろん、このブログにも記していきたい。
心はカタチをもとめ、カタチは心を求める。
思い出の引き出しを開けるのも、思考するのも、記録として形づけられた文字が重要なフックになることも多い。
さて、今日はどこの神社に行こうか。
2013年7月1日月曜日
迷う
迷った・・・。
どうしよう。
私は、このブログのほかにも、1つ似たようなブログをやっている。
もう1つのブログの方が先に、長く続けているのだが、そのブログのログイン画面変更にともない、ログインしにくくなったことをきっかけに、このBloggerでもブログを書くようになった。
というか、以前のブログをやめて、こちらで書こうと思ったのだ。
しかし、ほどなく前ブログのログイン不具合は解消し、現在では2つのブログを並行して書いている。
なので、内容の似ているブログがあったとしたら、それは私のもう1つのブログかもしれない。
さて、迷っているのは、2つのブログを書く面倒くささだ。
どちらかのブログに絞りたい。。。
以前からやっているブログは、アクセス数が(最近は)そこそこある。
一方、こちらのブログは、自慢じゃないが、現時点でほぼゼロだ。
しかし、こちらのブログの方が管理&書き込みがしやすい。
う~ん。
やっぱり、書きやすい方が楽でいいな。
アクセス数がなくても、もともとマイナーな内容しか書かないので、アクセス数が少なくて当たり前というか・・・。
近いうちに、こちらに一本化しようと思う。
どうしよう。
私は、このブログのほかにも、1つ似たようなブログをやっている。
もう1つのブログの方が先に、長く続けているのだが、そのブログのログイン画面変更にともない、ログインしにくくなったことをきっかけに、このBloggerでもブログを書くようになった。
というか、以前のブログをやめて、こちらで書こうと思ったのだ。
しかし、ほどなく前ブログのログイン不具合は解消し、現在では2つのブログを並行して書いている。
なので、内容の似ているブログがあったとしたら、それは私のもう1つのブログかもしれない。
さて、迷っているのは、2つのブログを書く面倒くささだ。
どちらかのブログに絞りたい。。。
以前からやっているブログは、アクセス数が(最近は)そこそこある。
一方、こちらのブログは、自慢じゃないが、現時点でほぼゼロだ。
しかし、こちらのブログの方が管理&書き込みがしやすい。
う~ん。
やっぱり、書きやすい方が楽でいいな。
アクセス数がなくても、もともとマイナーな内容しか書かないので、アクセス数が少なくて当たり前というか・・・。
近いうちに、こちらに一本化しようと思う。
2013年5月29日水曜日
100年前の親の名前
あなたは、自分の両親の名前を知っているだろうか?
だいたい、知っていますよね。
何か事情でもない限りは。
では、祖父母となるとどうだろう?
知っている、と即答できる人も多いだろうけど、「そう言えば、ちょっと自信ないかも」という人も、結構な割合でいるのではないか。祖父母と同居していないと、案外わからないかもしれない。
ではでは、曾祖父母となると、どうだろう??
名前を言えるだろうか?
あなたのお父さんのお父さんのお父さんだ。
3世代、前だ。
私は言えなかった。
名前を知らないということすら、意識していなかった。
でも、これってとても不思議なことではないだろうか?
子供のいる人ならわかると思うが、子供というのはかけがえのない存在だ。
そして、子供にとって親というのは、同じくかけがえのない存在だ。
とっても大事な存在の1つであると言える。
その、大切な人の親は、同じく大切な存在であるべきだ。
そして、更にその親も・・・。
私の家には昔から、小さな石碑のようなものがあった。
墓石のすごく小さいようなものだ。
どうやら昔、井戸があったようで、その井戸を埋める時に供養のためにつくったらしい。
我が家ではそれを水神さまと呼んでいる。
もう少し裕福な家であったら、もしかしたら社や鳥居でもつくって、あるいは弁天様とかを勧請して、家の守り神さまとして祀ったかもしれない。このあたりはよくわからないが、とはいえ、我が家には小さな石碑があった。
この石碑、つまり水神さまについては、色々と不思議な体験をしているのだが、それはまた別の機会に書くとしよう。
ともかく、この石碑はずっと我が家にあったわけだ。
庭の隅に、ひっそりと。
ある時、何気にその石碑の側面を覗いて見た。
そこには文字が刻まれている。
今まで気がつかなかった。
あるいは、気にしていなかったのか。
ハッキリとした文字が刻まれていた。
上根 ●●●(人の名前)
とあった。
もしかして、曾じいちゃん??
そう、曾爺さんの名前だったらしい。
私もあったことがないのだが、私の親もあった事がないらしい。親が生まれる時にはもう亡くなっていたという。
その時、私は思ったわけだ。
なんで、曾爺さんの名前を知らなかったんだろう、と。
知らない事に気づいてもいなかった。
「遠い親戚より近くの他人」とはよく言うけれど、3世代も経てしまうと、自分の血のつながりの、もっとも濃い部分の人ですら、興味を持たなくなってしまうものなのか。
この時から、次第に過去のことについて興味を持ち始めるようになった。
私の親の親の親の・・・は、同じこの土地で、どんな風景を見ていたのだろう。
何を想い、どこで悲しみ、誰と喜びをともにし、どんなことに心を動かされていたのだろう。
そんな事を考えながら、昔の風景を取り戻そうとしているのです。
物理的には無理にしても、過去の彼らや彼らの土地を、私が想い記録しなおすわけです。
単なる趣味です。
趣味ですけど、もし100年後、私の大切な子供の子供の・・・が、100年前に存在していた親の親の・・・に思いを馳せてくれていたら、やっぱり少し嬉しいと思う。
そんな事を考えながら、私は次第に歴史関係に興味を持つに至りました。
そして、今こんなブログを書いているわけです。
だいたい、知っていますよね。
何か事情でもない限りは。
では、祖父母となるとどうだろう?
知っている、と即答できる人も多いだろうけど、「そう言えば、ちょっと自信ないかも」という人も、結構な割合でいるのではないか。祖父母と同居していないと、案外わからないかもしれない。
ではでは、曾祖父母となると、どうだろう??
名前を言えるだろうか?
あなたのお父さんのお父さんのお父さんだ。
3世代、前だ。
私は言えなかった。
名前を知らないということすら、意識していなかった。
でも、これってとても不思議なことではないだろうか?
子供のいる人ならわかると思うが、子供というのはかけがえのない存在だ。
そして、子供にとって親というのは、同じくかけがえのない存在だ。
とっても大事な存在の1つであると言える。
その、大切な人の親は、同じく大切な存在であるべきだ。
そして、更にその親も・・・。
私の家には昔から、小さな石碑のようなものがあった。
墓石のすごく小さいようなものだ。
どうやら昔、井戸があったようで、その井戸を埋める時に供養のためにつくったらしい。
我が家ではそれを水神さまと呼んでいる。
もう少し裕福な家であったら、もしかしたら社や鳥居でもつくって、あるいは弁天様とかを勧請して、家の守り神さまとして祀ったかもしれない。このあたりはよくわからないが、とはいえ、我が家には小さな石碑があった。
この石碑、つまり水神さまについては、色々と不思議な体験をしているのだが、それはまた別の機会に書くとしよう。
ともかく、この石碑はずっと我が家にあったわけだ。
庭の隅に、ひっそりと。
ある時、何気にその石碑の側面を覗いて見た。
そこには文字が刻まれている。
今まで気がつかなかった。
あるいは、気にしていなかったのか。
ハッキリとした文字が刻まれていた。
上根 ●●●(人の名前)
とあった。
もしかして、曾じいちゃん??
そう、曾爺さんの名前だったらしい。
私もあったことがないのだが、私の親もあった事がないらしい。親が生まれる時にはもう亡くなっていたという。
その時、私は思ったわけだ。
なんで、曾爺さんの名前を知らなかったんだろう、と。
知らない事に気づいてもいなかった。
「遠い親戚より近くの他人」とはよく言うけれど、3世代も経てしまうと、自分の血のつながりの、もっとも濃い部分の人ですら、興味を持たなくなってしまうものなのか。
この時から、次第に過去のことについて興味を持ち始めるようになった。
私の親の親の親の・・・は、同じこの土地で、どんな風景を見ていたのだろう。
何を想い、どこで悲しみ、誰と喜びをともにし、どんなことに心を動かされていたのだろう。
そんな事を考えながら、昔の風景を取り戻そうとしているのです。
物理的には無理にしても、過去の彼らや彼らの土地を、私が想い記録しなおすわけです。
単なる趣味です。
趣味ですけど、もし100年後、私の大切な子供の子供の・・・が、100年前に存在していた親の親の・・・に思いを馳せてくれていたら、やっぱり少し嬉しいと思う。
そんな事を考えながら、私は次第に歴史関係に興味を持つに至りました。
そして、今こんなブログを書いているわけです。
2013年4月13日土曜日
はじめに
子供の頃から大人になるまで、ほとんど歴史に興味を持った事はなかった。
周囲には、司馬遼太郎の小説や、漫画本の三国志、戦国武将のテレビゲームなどにハマっている人も多かった。しかし、私はそれらにもハマった事がない。
学校の授業でも、特段、歴史に興味を持った事もなければ、歴史の成績がよかったわけでもない。
成人してからもしばらくは、お寺と神社の区別もつかなかったくらいだ。
けれど、ちょっとした事をきっかけに、私は自分の身近にある歴史というものについて興味を持つことになった。
この数年、時間を見つけては、神社や小祠を探しに行ったり、本や資料を調べたり、なんてことをしている。
そうすると、普段から見慣れていた風景のなかに、新しい発見をすることになる。
新しい発見?
いや、発見しなおすという感じだろうか。
それは私の生まれる遥か以前から、そこにあったのだから。
私の住んでいる場所は、有名な歴史的遺産なんてない平凡な地域だけれど、とはいえ人の営みがはずっと続けられてきた場所なので、それなりに奥が深い。
そして、発見し直すというのは案外、面白い作業だ。
ということで、せっかくなので、調べた事や見たり聞いたり再発見したことなどを、記録がてらこのブログに書いてみたいと思う。
周囲には、司馬遼太郎の小説や、漫画本の三国志、戦国武将のテレビゲームなどにハマっている人も多かった。しかし、私はそれらにもハマった事がない。
学校の授業でも、特段、歴史に興味を持った事もなければ、歴史の成績がよかったわけでもない。
成人してからもしばらくは、お寺と神社の区別もつかなかったくらいだ。
けれど、ちょっとした事をきっかけに、私は自分の身近にある歴史というものについて興味を持つことになった。
この数年、時間を見つけては、神社や小祠を探しに行ったり、本や資料を調べたり、なんてことをしている。
そうすると、普段から見慣れていた風景のなかに、新しい発見をすることになる。
新しい発見?
いや、発見しなおすという感じだろうか。
それは私の生まれる遥か以前から、そこにあったのだから。
私の住んでいる場所は、有名な歴史的遺産なんてない平凡な地域だけれど、とはいえ人の営みがはずっと続けられてきた場所なので、それなりに奥が深い。
そして、発見し直すというのは案外、面白い作業だ。
ということで、せっかくなので、調べた事や見たり聞いたり再発見したことなどを、記録がてらこのブログに書いてみたいと思う。
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