昨日のブログで「悪縁を切る方法」ということで、板橋の縁切榎(えんきりえのき)について書いた。
榎の木というのは夏の木と書いて表す。縁切榎も、かつて板橋宿として賑わった中山道で、夏の日差しを避ける絶好の木陰を提供していたはず。人々の集まる木だったんじゃないかと想像する。
縁切榎が切ってくれる悪縁は、夫婦恋人や隣人などの人間関係だけにとどまらない。
病気やお酒(禁酒)との関係も断ってくれると信奉されていた。
現在の縁切榎の絵馬にも、病気との悪縁を切ってくれるよう願うものもあった。
病気との縁を切るというと、以前紹介した台東区竜泉にある「飛不動」も似たようなご利益がある。
飛不動は飛ぶお不動さんと称されていて、かつて大峯山(奈良県)から空をぶっ飛び、一夜にして江戸の地まで舞い戻ってきたという伝承を持つ。
ゆえに、旅の守護の他に飛行護として航空関係者や、小惑星探査機「はやぶさ」の関係者に信奉されている。さらにゴルフ護、「落ない」で受験祈願としても人気があるのだが、悪い病を“飛ばしてくれる”という事でも信奉されていたらしい。
縁切榎で悪い病気と縁を切り、飛不動で縁を切った病を飛ばしてもらう、というコースで参拝するのはどうだろう?
電車で回るとしたら、こんな感じになる。
縁切榎から徒歩5分くらい
↓
都営三田線「板橋本町」
↓
「巣鴨」下車
↓
JR山手線「巣鴨」
↓
「上野」下車
↓
日比谷線「上野」
↓
「三ノ輪」下車
↓
三ノ輪から徒歩10分前後
電車の移動が約40分、参拝時間が各10分として、約1時間30分のコースかな。
神仏というのは色々なご利益があって、病気についても、わりと専門が分かれていたりする。現代の医学でいうところの専門医みたいなものだ。
例えば私の地元、埼玉川口でいえば、氷川神社は祭神が素戔嗚尊(スサノオ)なので、総合医。
で、足の怪我なら新井宿の子日神社。
歯痛なら、前川の愛宕さま。
咳(特に小児科)なら、西新井宿の姥神さま。
頭痛なら道合の浅間社(現在入れず)。
腹痛なら一本木の諏訪神社。
出産なら元郷氷川。柳崎にも子安観音が。
女性の性病なら石神妙延寺のお女郎さま。
眼病なら・・・
と、ここでは書ききれないほど、いろいろある。
川口市という特段寺社の多くもない場所でこれなのだから、各地にもたくさんあるのだと思う。
大きな有名神社に行くのもよいけれど、ほら、医療の世界でもよく言われるでしょう。頼れるホームドクターを持ちましょう、と。近場で主治医を見つけて、難しい病気の場合はそこから紹介状を出してもらって、別の専門医に診てもらう。
寺社仏閣も似たように、
「すいません、ちょっと足の怪我が尋常じゃないので・・・。
何だか切ったり飛ばしたりっていう特殊な専門療法を持つ、縁切榎の大六天さまと飛不動という方がいるって聞いて・・・。
もしご存知のようでしたら、ひと言、ご紹介いただけると心強いっす」
てな感じで妄想紹介状をもらって行くと良いのではないか、と。
【処或縁起】武蔵国(現在の東京~埼玉)を中心に、埋もれてしまった土地の記憶、人々の想い、「とある話」を収集しています。ちょっとした「とある話」を再記録&再記憶する作業。誰ひとり、記憶するものがいなくなるのであれば、せめて私だけでも・・・。話題は、地元である埼玉県川口市の神根地区に偏る可能性、大?
2014年3月14日金曜日
2014年3月13日木曜日
悪縁を切る方法・・・どうしても離れたい人のために。
どうしても離れたい人がいる。
そういう人には、縁切榎をご紹介したい。
ここ数年、ストーカー殺人などの嫌な事件をたびたび目にする。
別れたいのにしつこく付きまとう。
挙げ句の果ては、凶行に及ぶ。
被害者や遺族の気持ちを思うと、まったくやるせない。
ストーカーに限らず、悪縁というのは色々とあるものだ。
人という字は人と人とが支えあって・・・なんて言われる通り、人は人との関係性なしには生きられない。
同じクラスの嫌な奴。
意地悪なご近所。
パワハラ上司。
DVを繰り返す配偶者。
社会に生きていれば、離れたくても簡単に離れることもできない。
色々と手を尽くして、最後にすがるのは、カミだ。
そう。
古来から伝わる最後の手段。
奥の手。
これを人は、神頼みという。
縁切榎は東京の板橋区にある。駅なら都営三田線の板橋本町駅から徒歩5~6分。中山道の、たぶんあそこは旧道かな。
とても狭い敷地で、境内は横に人2列になるとそれでいっぱい。
まず、目を引くのはこの狭い境内に大量の絵馬が奉納されているところ。
めちゃくちゃたくさんある。
内容を見てみると・・・正直、怖くなる。
実名で書いてあることが多く、「この●●に不幸が訪れ、私の目の前から消え失せますように」というような、隠そうともしないむき出しの恨みや呪詛が書き込まれている。
よほど縁を切りたいのだろう。
この縁切榎は良縁を結び、悪縁を断つということで、江戸の昔から信奉されていて、今だにテレビなどで紹介されることも多く、参拝者は結構多い。
実はここ、神社としては大六天神社である。大六天神社の御神木である榎の木が、縁切り榎というわけ。
もともとは江戸時代、旗本の近藤登之助の屋敷が向かいのあたりにあり、その垣根の際に榎と槻の古木があったそうだ。
その榎がいつの頃からか縁切り榎と呼ばれるようになり、嫁入りの際には縁起が悪いとこの下を通ることを敬遠されるようになった。将軍家へ嫁ぐような方も避けて通ったほどで、本当に広く話が伝わっていたのだと思う。
榎の木の皮を煎じて飲ませれば別れられるという俗信もあったようで、今の榎は削がれないように守られている。
ちなみに、今の榎は三代目で、先代榎は石に塗り込められている。
縁を切りたい。
その思いは、その願いを持つものにとって、本当に切なるものがあるのだろう。
ところで、世の中には「25人に1人、良心を持たない人がいる」と言われている。
25人に1人ということは、つまり4%だ。
良心を持たないというのは分かりにくいが、良心の呵責がないということだ。
つまり、人が傷つくことを平気でやれる人間。
自分の利が優先で、相手のことはかまわない。この“良心を持たない人”というのが攻撃的であった場合、いわゆる連続殺人犯となる。“良心を持たない”全ての人が殺人犯になるわけではないようで、表面上、普通に暮らして、殺しもせず、しかし人を傷つけて生きている。
良心の呵責がないのも当然だ。良心そのものがないのだから。
私たちの多くは、蚊を叩くのに躊躇しない。
しかし、もし仮に周りの目がそれを許さなかったら、少なくともひと目のある所では蚊を殺さないだろう。
犬将軍こと徳川綱吉の時代に犯罪率が低下して、更には犬を食べなくなったように、周囲の目というやつが抑止力として働くことがある。
それと同じことで、先ほど“良心をもたない人”は4%いると書いたが、これはアメリカでの数字。
日本では文化的に(おそらく、ムラ社会とか、周囲の目、空気とか、そのへんが原因?)それより大幅に少ないのではないかと言われている。
しかし、そういう種の人はいるわけで、しかもこいつらは表面上、魅力的に見えることが多いそうだ。なので、深い付き合いのない人から見るとその脅威が伝わらず、周囲の人になかなか理解してもらえないという。
もしこのような、手ごわい“良心を持たない”人間に出会ってしまった場合、どうするべきか。
この“良心のない人”について調べたマーサスタウト女史は、こう言っている。
「できるだけ遠くに、すぐに逃げろ」。
それしか方法はないらしい。
相手を変えるのは不可能。
周囲の理解や援助も難しい。
なので、逃げろ、と。
それしかない、と。
この「良心のない人」について知りたい人はマーサ スタウト女史の本が出ているので、興味のある人は読んでみるといいと思う。幸い、少し前に文庫で発売された。

良心をもたない人たち (草思社文庫)
まぁ、良心がない人とまではいかなくても、縁を切りたいという人はいるだろう。
縁を切るために、専門家の手を借りるなり、するべきことはしておくべきだ。
その上で、最後の最後には神頼み。
縁切り榎で願をかけよう。
ということで。
で、ようやくここからが私が一番興味のある部分なのだが・・・。
なぜ、縁切り榎の榎は「縁切り」となったのか。
先ほども書いたが、ここは大六天神社である。
大六天の神は、どちらかというと子孫繁栄に霊験ありのはずだ。
大六天と、「第」ではなく「大」とあることから、おそらく山倉山の大六天様だろう。
何かしらの願掛けをして、それが成就しての大六天神社だと推測する。
で、その大六天神社の、御神木ともいわれる榎の木。これが何故、縁切りの木になってしまったのか?
縁(えん)と榎、この関係は明白である(たぶん・・・(ーー;)わたし的には)。
つまり、榎→えのき→えんの木。
榎は縁の木と呼ばれることがある。
縁の木と、大六天。
これだけなら、どっからどう見ても子孫繁栄。どちらかというと、良縁の名所となるはず、と言うか、なるべきである。
ところが、なぜ縁は切られる方向に向いたのか?
元々屋敷のあったという近藤家に何かがあったのか?
今となってはわからない。
答えはわからないが、1つ参考にしたい話がある。
この板橋から少し離れた相模原(神奈川県)に、榎神社という社がある。
あらすじは、こうだ。
「ある時代・・・・この地に横山将監と言う豪族が住んでおり、照手姫はその娘として生まれ美女として誉れ高いお姫様だった。姫は美男で評判の小栗判官と恋仲になるが、皮肉な事に小栗は父の将監の敵方である。迷い悲しんだ末に、ついに姫は父を捨てて小栗のもとへ走ってしまう。しかし、戦国時代の武士の世界は厳しく、小栗判官によって姫の父親である将監とその横山一族は、滅ぼされてしまうのでした。照手姫伝説は、戦国の若い男女の悲恋物語で、恋愛は肉親の情をも断ち切る話として伝えられている。」
※照手姫伝説
榎神社の社名のいわれは、照手姫がさした杖が根付いたことからで、枝が下を向いた逆さ榎であったと伝えられている(現在の榎、こちらは二代目)。
さて、結論には至らないので保留だが、いちおう、現段階での私の見解。
板橋の縁切榎は、悪縁を断つ。
照手姫は、愛する人とは結ばれた(?)かもしれないが、悲劇の結末を迎え、肉親との縁は切られてしまう。
本来、縁の木ということで縁起の良い話につながりそうな榎に、こうした逆の話、つまり縁が切れる話があるのは、何故か?
それぞれの元となる古層の榎にまつわる説話でもあったのか、それとも「逆さ榎」で縁を逆にされた、とか?板橋の縁切り榎、初代は逆さ榎だったという可能性は、なくはない?
そういう人には、縁切榎をご紹介したい。
有名な板橋・縁切榎、大六天神社。悪縁を断つという。狭い境内には大量の絵馬が奉納されていて、その内容たるや・・・。 pic.twitter.com/SU1RBnubIz
— 上根 又三郎 (@k_matasabur) 2014, 3月 4
ここ数年、ストーカー殺人などの嫌な事件をたびたび目にする。
別れたいのにしつこく付きまとう。
挙げ句の果ては、凶行に及ぶ。
被害者や遺族の気持ちを思うと、まったくやるせない。
ストーカーに限らず、悪縁というのは色々とあるものだ。
人という字は人と人とが支えあって・・・なんて言われる通り、人は人との関係性なしには生きられない。
同じクラスの嫌な奴。
意地悪なご近所。
パワハラ上司。
DVを繰り返す配偶者。
社会に生きていれば、離れたくても簡単に離れることもできない。
色々と手を尽くして、最後にすがるのは、カミだ。
そう。
古来から伝わる最後の手段。
奥の手。
これを人は、神頼みという。
縁切榎は東京の板橋区にある。駅なら都営三田線の板橋本町駅から徒歩5~6分。中山道の、たぶんあそこは旧道かな。
とても狭い敷地で、境内は横に人2列になるとそれでいっぱい。
まず、目を引くのはこの狭い境内に大量の絵馬が奉納されているところ。
めちゃくちゃたくさんある。
内容を見てみると・・・正直、怖くなる。
実名で書いてあることが多く、「この●●に不幸が訪れ、私の目の前から消え失せますように」というような、隠そうともしないむき出しの恨みや呪詛が書き込まれている。
よほど縁を切りたいのだろう。
この縁切榎は良縁を結び、悪縁を断つということで、江戸の昔から信奉されていて、今だにテレビなどで紹介されることも多く、参拝者は結構多い。
実はここ、神社としては大六天神社である。大六天神社の御神木である榎の木が、縁切り榎というわけ。
もともとは江戸時代、旗本の近藤登之助の屋敷が向かいのあたりにあり、その垣根の際に榎と槻の古木があったそうだ。
その榎がいつの頃からか縁切り榎と呼ばれるようになり、嫁入りの際には縁起が悪いとこの下を通ることを敬遠されるようになった。将軍家へ嫁ぐような方も避けて通ったほどで、本当に広く話が伝わっていたのだと思う。
榎の木の皮を煎じて飲ませれば別れられるという俗信もあったようで、今の榎は削がれないように守られている。
ちなみに、今の榎は三代目で、先代榎は石に塗り込められている。
石に塗り込まれた先代の榎。今は三代目という。 pic.twitter.com/lJSGFGmMP5
— 上根 又三郎 (@k_matasabur) 2014, 3月 4
絵馬といい、埋め込まれた先代榎といい、何だか色々と異様な雰囲気を感じる社だ。縁を切りたい。
その思いは、その願いを持つものにとって、本当に切なるものがあるのだろう。
ところで、世の中には「25人に1人、良心を持たない人がいる」と言われている。
25人に1人ということは、つまり4%だ。
良心を持たないというのは分かりにくいが、良心の呵責がないということだ。
つまり、人が傷つくことを平気でやれる人間。
自分の利が優先で、相手のことはかまわない。この“良心を持たない人”というのが攻撃的であった場合、いわゆる連続殺人犯となる。“良心を持たない”全ての人が殺人犯になるわけではないようで、表面上、普通に暮らして、殺しもせず、しかし人を傷つけて生きている。
良心の呵責がないのも当然だ。良心そのものがないのだから。
私たちの多くは、蚊を叩くのに躊躇しない。
しかし、もし仮に周りの目がそれを許さなかったら、少なくともひと目のある所では蚊を殺さないだろう。
犬将軍こと徳川綱吉の時代に犯罪率が低下して、更には犬を食べなくなったように、周囲の目というやつが抑止力として働くことがある。
それと同じことで、先ほど“良心をもたない人”は4%いると書いたが、これはアメリカでの数字。
日本では文化的に(おそらく、ムラ社会とか、周囲の目、空気とか、そのへんが原因?)それより大幅に少ないのではないかと言われている。
しかし、そういう種の人はいるわけで、しかもこいつらは表面上、魅力的に見えることが多いそうだ。なので、深い付き合いのない人から見るとその脅威が伝わらず、周囲の人になかなか理解してもらえないという。
もしこのような、手ごわい“良心を持たない”人間に出会ってしまった場合、どうするべきか。
この“良心のない人”について調べたマーサスタウト女史は、こう言っている。
「できるだけ遠くに、すぐに逃げろ」。
それしか方法はないらしい。
相手を変えるのは不可能。
周囲の理解や援助も難しい。
なので、逃げろ、と。
それしかない、と。
この「良心のない人」について知りたい人はマーサ スタウト女史の本が出ているので、興味のある人は読んでみるといいと思う。幸い、少し前に文庫で発売された。
良心をもたない人たち (草思社文庫)
まぁ、良心がない人とまではいかなくても、縁を切りたいという人はいるだろう。
縁を切るために、専門家の手を借りるなり、するべきことはしておくべきだ。
その上で、最後の最後には神頼み。
縁切り榎で願をかけよう。
ということで。
で、ようやくここからが私が一番興味のある部分なのだが・・・。
なぜ、縁切り榎の榎は「縁切り」となったのか。
先ほども書いたが、ここは大六天神社である。
大六天の神は、どちらかというと子孫繁栄に霊験ありのはずだ。
大六天と、「第」ではなく「大」とあることから、おそらく山倉山の大六天様だろう。
何かしらの願掛けをして、それが成就しての大六天神社だと推測する。
で、その大六天神社の、御神木ともいわれる榎の木。これが何故、縁切りの木になってしまったのか?
縁(えん)と榎、この関係は明白である(たぶん・・・(ーー;)わたし的には)。
つまり、榎→えのき→えんの木。
榎は縁の木と呼ばれることがある。
縁の木と、大六天。
これだけなら、どっからどう見ても子孫繁栄。どちらかというと、良縁の名所となるはず、と言うか、なるべきである。
ところが、なぜ縁は切られる方向に向いたのか?
元々屋敷のあったという近藤家に何かがあったのか?
今となってはわからない。
答えはわからないが、1つ参考にしたい話がある。
この板橋から少し離れた相模原(神奈川県)に、榎神社という社がある。
相模原の榎さまこと榎神社。恋愛悲劇の説話、照手姫を祀る。二代目御神木は大きな榎の木。見晴らしのいい高台に鎮座している。 pic.twitter.com/pUYmUbIknH
— 上根 又三郎 (@k_matasabur) 2014, 2月 25
ここには照手姫伝説という話が伝わっている。あらすじは、こうだ。
「ある時代・・・・この地に横山将監と言う豪族が住んでおり、照手姫はその娘として生まれ美女として誉れ高いお姫様だった。姫は美男で評判の小栗判官と恋仲になるが、皮肉な事に小栗は父の将監の敵方である。迷い悲しんだ末に、ついに姫は父を捨てて小栗のもとへ走ってしまう。しかし、戦国時代の武士の世界は厳しく、小栗判官によって姫の父親である将監とその横山一族は、滅ぼされてしまうのでした。照手姫伝説は、戦国の若い男女の悲恋物語で、恋愛は肉親の情をも断ち切る話として伝えられている。」
※照手姫伝説
榎神社の社名のいわれは、照手姫がさした杖が根付いたことからで、枝が下を向いた逆さ榎であったと伝えられている(現在の榎、こちらは二代目)。
さて、結論には至らないので保留だが、いちおう、現段階での私の見解。
板橋の縁切榎は、悪縁を断つ。
照手姫は、愛する人とは結ばれた(?)かもしれないが、悲劇の結末を迎え、肉親との縁は切られてしまう。
本来、縁の木ということで縁起の良い話につながりそうな榎に、こうした逆の話、つまり縁が切れる話があるのは、何故か?
それぞれの元となる古層の榎にまつわる説話でもあったのか、それとも「逆さ榎」で縁を逆にされた、とか?板橋の縁切り榎、初代は逆さ榎だったという可能性は、なくはない?
2014年2月14日金曜日
第六天についての途中経過
このブログでは、これまでに何度か、 “第六天” というテーマについて書いている。
主なところでは、下記のような内容。
・第六天神社へ・・・欲界天の最高所に宮殿を備える超強力な天魔を祀る神社
・光るご神体~武蔵第六天神社の続き話
第六天について要約すると、こんな感じ。
・明治以前には主に関東を中心に数百という単位で社・祠があった。
・大六天とは、仏教における天のうち、欲界にある六欲天の最上層の他化自在天をいう。
・天魔波旬(てんまはじゅん)とか魔王と呼ばれる(信長が自称したという話は有名)。
・身の丈2里、寿命は人間の1600歳を1日とし、1万6千歳の長寿。常に多くの眷属を率いる。
・明治の神仏分離・廃仏毀釈を経て、ほとんどが御祭神や社号を変更してしまった。
と、何だか凄いことになっているのだが、結局のところ謎が多く、あまりよくわかっていない。
なんといっても第六天の各社・祠は、その神様を変えてしまったり、名称を変えてしまったり、リニューアルどころではない変身を遂げているため、深刻な系譜の断絶があったと思える。
しかしながら、注意深く、よ~く目を凝らしてみると、意外とあちこちに「第六天」の痕跡を見つけることができる。
例えば埼玉の岩槻には、武蔵第六天神社がある。ただし、主神は面足尊(おもたるのみこと)と吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと) となっている。
都内にも、目黒区や台東区、杉並区など、また神奈川にも多くの第六天神社が残っているが、御祭神は変わってしまっている。
東京の葛飾区や墨田区にある高木神社は、社号と祭神が変えられてしまったケースで、現在の御祭神は高皇産霊尊(神)である。
足立区や荒川区あたりに多い胡録神社も、もとは第六天だった。
さて、この第六天についてもう少し調べてみようと思っていたのだが、思っていた以上に奥が深い。
単純に「すごい力を持った神?様だから、人気が出た」というものでもなさそう。
正直、お手上げに近い状態なのだが、このブログのサブタイトルは「記録ま末後のひと言」である。何かしら書き記し残そうというのが趣旨の1つである。
なので、中途半端ではあるが、途中経過として、書き記したい。
とりあえず、現時点でいただいた情報、或いは私自身の推測などを箇条書きで書く。
いずれ、まとめに挑戦したい。
・各地に「第六天」と「大六天」がある。また、社ではなく宮とつく場合がある。大切な社号に意味なく違いが生まれたとは考えにくい。
・総本山や総本宮がある。例えば、山倉山観福寺は大六天の総本山であるとのご指摘をいただいた。それによると、「西暦815年 弘法大師が当山に勧請する。正式名称「他化自在天王宮」通称山倉様、第(大六天)明治2年5月24に現山倉大神より別当観福寺に遷座される。江戸時代に 地域を巡拝して災難を救ってクレタ事で村の祀神として(氏神)とした。」 魔王というより守護人であるという。
・第六天に関係あるとされる仏典、日本神話の神を列挙→(理趣経・真言宗で常時読誦される経典、日蓮、大国主、、、)
今日はこのへんで・・・。
主なところでは、下記のような内容。
・第六天神社へ・・・欲界天の最高所に宮殿を備える超強力な天魔を祀る神社
・光るご神体~武蔵第六天神社の続き話
第六天について要約すると、こんな感じ。
・明治以前には主に関東を中心に数百という単位で社・祠があった。
・大六天とは、仏教における天のうち、欲界にある六欲天の最上層の他化自在天をいう。
・天魔波旬(てんまはじゅん)とか魔王と呼ばれる(信長が自称したという話は有名)。
・身の丈2里、寿命は人間の1600歳を1日とし、1万6千歳の長寿。常に多くの眷属を率いる。
・明治の神仏分離・廃仏毀釈を経て、ほとんどが御祭神や社号を変更してしまった。
と、何だか凄いことになっているのだが、結局のところ謎が多く、あまりよくわかっていない。
なんといっても第六天の各社・祠は、その神様を変えてしまったり、名称を変えてしまったり、リニューアルどころではない変身を遂げているため、深刻な系譜の断絶があったと思える。
しかしながら、注意深く、よ~く目を凝らしてみると、意外とあちこちに「第六天」の痕跡を見つけることができる。
例えば埼玉の岩槻には、武蔵第六天神社がある。ただし、主神は面足尊(おもたるのみこと)と吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと) となっている。
都内にも、目黒区や台東区、杉並区など、また神奈川にも多くの第六天神社が残っているが、御祭神は変わってしまっている。
東京の葛飾区や墨田区にある高木神社は、社号と祭神が変えられてしまったケースで、現在の御祭神は高皇産霊尊(神)である。
足立区や荒川区あたりに多い胡録神社も、もとは第六天だった。
さて、この第六天についてもう少し調べてみようと思っていたのだが、思っていた以上に奥が深い。
単純に「すごい力を持った神?様だから、人気が出た」というものでもなさそう。
正直、お手上げに近い状態なのだが、このブログのサブタイトルは「記録ま末後のひと言」である。何かしら書き記し残そうというのが趣旨の1つである。
なので、中途半端ではあるが、途中経過として、書き記したい。
とりあえず、現時点でいただいた情報、或いは私自身の推測などを箇条書きで書く。
いずれ、まとめに挑戦したい。
・各地に「第六天」と「大六天」がある。また、社ではなく宮とつく場合がある。大切な社号に意味なく違いが生まれたとは考えにくい。
・総本山や総本宮がある。例えば、山倉山観福寺は大六天の総本山であるとのご指摘をいただいた。それによると、「西暦815年 弘法大師が当山に勧請する。正式名称「他化自在天王宮」通称山倉様、第(大六天)明治2年5月24に現山倉大神より別当観福寺に遷座される。江戸時代に 地域を巡拝して災難を救ってクレタ事で村の祀神として(氏神)とした。」 魔王というより守護人であるという。
・第六天に関係あるとされる仏典、日本神話の神を列挙→(理趣経・真言宗で常時読誦される経典、日蓮、大国主、、、)
今日はこのへんで・・・。
2014年2月4日火曜日
元郷・氷川神社に行く。
先日、川口市元郷にある元郷・氷川神社に行ってきた。
埼玉高速鉄道線の「川口元郷駅」から徒歩5分程度だろうか。なかなかの良い神社だった。
で、この氷川神社、なぜか武蔵國四之宮とある。
四之宮は秩父神社だと思うのだけれど、これはどういった理由か。少し疑問だけれど、考えてもわからないのでスルーすることにした。
で、この神社、狛犬に安産の霊験ありとのことだが、これまたどういう経緯なのかわからない。
もともと何らかの信仰があったのかもしれない。
何気に謎の多い神社である。
謎といえば、この神社には第六天が合祀されていて、、境内に第六天宮がある。
第六天社とは因縁浅からぬ関係・・・でもないのだが、やはり気になる。江戸の頃には関東で数百、もしかしたら千前後はあったかもしれない第六天社。川口市内でも20弱はあったはずで、その1つがここである。
ちなみに私は今年、6つの第六天社をお参りしようと計画している。
1社めが武蔵第六天神社で、これは年初に行ってきた。
・第六天神社へ・・・欲界天の最高所に宮殿を備える超強力な天魔を祀る神社
・光るご神体~武蔵第六天神社の続き話
2社目が、柳崎の氷川神社で、あそこの雰囲気も私好みの、静かで、特に何もない感じの場所だった。柳崎の氷川社では、なぜか第六天のみがお堂もなく雨ざらしで置かれている。これまた、なぜだろう?
で、3社目が、今回の元郷氷川神社の第六天である。
やっと半分だ。
あと3社、どこを回ろうか。
川口市から外へ出て、都内に足を伸ばそうか。
只今、計画中である。
埼玉高速鉄道線の「川口元郷駅」から徒歩5分程度だろうか。なかなかの良い神社だった。
で、この氷川神社、なぜか武蔵國四之宮とある。
元郷氷川神社(川口市元郷)。武蔵国四之宮という。 pic.twitter.com/K0AxQCeDaj
— 上根 又三郎 (@k_matasabur) 2014, 1月 31
四之宮は秩父神社だと思うのだけれど、これはどういった理由か。少し疑問だけれど、考えてもわからないのでスルーすることにした。
で、この神社、狛犬に安産の霊験ありとのことだが、これまたどういう経緯なのかわからない。
元郷氷川神社の狛犬は安産に霊験有りという。かわいい顔しとる。 pic.twitter.com/wCWZN53fDh
— 上根 又三郎 (@k_matasabur) 2014, 1月 31
もともと何らかの信仰があったのかもしれない。
何気に謎の多い神社である。
謎といえば、この神社には第六天が合祀されていて、、境内に第六天宮がある。
元郷氷川神社には第六天宮が。明治に合祀された。 pic.twitter.com/HRISxOaCEW
— 上根 又三郎 (@k_matasabur) 2014, 1月 31
第六天社とは因縁浅からぬ関係・・・でもないのだが、やはり気になる。江戸の頃には関東で数百、もしかしたら千前後はあったかもしれない第六天社。川口市内でも20弱はあったはずで、その1つがここである。
ちなみに私は今年、6つの第六天社をお参りしようと計画している。
1社めが武蔵第六天神社で、これは年初に行ってきた。
・第六天神社へ・・・欲界天の最高所に宮殿を備える超強力な天魔を祀る神社
・光るご神体~武蔵第六天神社の続き話
2社目が、柳崎の氷川神社で、あそこの雰囲気も私好みの、静かで、特に何もない感じの場所だった。柳崎の氷川社では、なぜか第六天のみがお堂もなく雨ざらしで置かれている。これまた、なぜだろう?
川口市内では、柳崎の氷川神社にも第六天が合祀されている。 pic.twitter.com/onGc6TRoW3
— 上根 又三郎 (@k_matasabur) 2014, 1月 31
で、3社目が、今回の元郷氷川神社の第六天である。
やっと半分だ。
あと3社、どこを回ろうか。
川口市から外へ出て、都内に足を伸ばそうか。
只今、計画中である。
2014年1月9日木曜日
光るご神体~武蔵第六天神社の続き話
前回も書きました「武蔵第六天神社」について。
ちょっと追加で調べてみたので、追記です。
今回は第六天全体ではなく、「武蔵第六天神社」にフォーカスします。
というかですね、神社のウェブサイトもしっかりありました。
あまりネット見ないので(ブログやってるくせに)、気づきませんでした。
リンク貼っておきます。
・武蔵第六天神社
武蔵第六天神社の創建は、神社のウェブサイトによると「第119代光格天皇の御代、天明2年6月15日の御鎮祭」よりと伝えられているらしい。
天明二年というと、江戸時代。西暦でいうと1782年なのですが、この時期がどんな時代だったかというと、ちょうど「天明の大飢饉」のあった時期で、これは「日本の近世で最大の飢饉」であり、つまり大変な時代だったわけです。
時系列で語るとこんな時代。
・安永八(1779) 桜島大噴火
・天明二(1782) 天明の大飢饉(~1788)
・天明三(1783) 浅間山噴火
本当に大変な時代だと思う。
そんな時代に、当社は創建されたらしい。
ちなみにちょっとだけ脇道(地元ネタ)にそれますが、石神の女郎仏(埼玉県川口市)の出来事があったのは寛政二年(1790)なので、とても近いです。
話を戻します。
このような大変な時代に創建されたと伝えられる武蔵第六天神社。厄病除け・病気平癒に大きなご利益があることで知られているそうです。
では、当社の信仰はどのように始まったのか。
当社の始まりについては2つの説があるようです。
【その1】
その昔、ぴかぴかと光る御神体が元荒川の上流から流れてきた。村人が拾い祀ったところ、この地にあった病患いがなくなった。この神様のご利益は凄いと、評判がどんどん広まっていった。
【その2】
その昔、大戸村に堀切力弥という人がいて病人の面倒をよく見ていた。ある時、元荒川の河畔で雑草を刈っていると、金色の立派な御神体を納めた祠を見つけた。これを自宅に持ち帰り大切に祀っていたところ、夢枕に第六天神を名乗る白髪の老翁が現れて、秋にこの地を悪疫が襲うが、自分を奉拝すれば必ず免れると告げた。この言葉を信じ信仰していると、お告げのとおり疫病が大流行し命を落とす者が多かったが、力弥の一家は無事であった。以来、近郷の人々も厚く信仰すりょうになり、祠の出土した元荒川堤の地に小さな祠を建立して御神体を祀ったのが始まりだという。
ということで、2つの話の重なる部分からわかったのは、どうやら御神体は光り輝くものらしい、ということ。そしてどちらも病気に強い。
それだけ当時は疫病が流行ったのかもしれません。先ほど紹介したお女郎さまの話もやっぱり同じようなものですし。
そして、当社のご利益は確かに大変な評判だったようだ。江戸時代から明治まで、当社は村の鎮守でもなく、更には無社格であったにも関わらず、明治末の合祀政策のなかで他の神社が当社に合祀され、最終的に当社が残り村社となるに至ったというのは、如何に多くの人々に信奉されていたかがわかろうというものだ。
講は江戸時代から現代に至るまで盛んらしく、おそらく現在でも数千人規模の講員がいるものと思われる(これはまったくの私の推定、平成の始め頃の時点で約五千名だったらしい)。
ところで、岩槻にはもう1社、第六天神社がある。馬込という場所で、馬込の氏子の間では「大戸(武蔵第六天神社)の第六天様よりも古い」と伝わっているらしい。この馬込の第六天社には富士塚もあり、とても興味深い。まだ行ったことがないので、機会を見つけて行ってみたい。
馬込の第六天社の前の道路は、かつての武州鉄道の軌道跡であるという。今の国道122号線ですね。
(場所)
・武蔵第六天神社・・・埼玉県さいたま市岩槻区大戸1752
・第六天神社(馬込)・・・埼玉県さいたま市岩槻区馬込200
・女郎仏(妙延寺)・・・埼玉県川口市石神967-2
ところで、武蔵第六天神社の説話に出てくる「光る御神体」って、なんでしょうね?たまに似たような話を見つけることがあります。例えば、以前書いたこれ。
・松の木に光るもの
都内某所の天祖神社の話なんですが、いったい光るものって・・・。
ちょっと追加で調べてみたので、追記です。
今回は第六天全体ではなく、「武蔵第六天神社」にフォーカスします。
というかですね、神社のウェブサイトもしっかりありました。
あまりネット見ないので(ブログやってるくせに)、気づきませんでした。
リンク貼っておきます。
・武蔵第六天神社
武蔵第六天神社の創建は、神社のウェブサイトによると「第119代光格天皇の御代、天明2年6月15日の御鎮祭」よりと伝えられているらしい。
天明二年というと、江戸時代。西暦でいうと1782年なのですが、この時期がどんな時代だったかというと、ちょうど「天明の大飢饉」のあった時期で、これは「日本の近世で最大の飢饉」であり、つまり大変な時代だったわけです。
時系列で語るとこんな時代。
・安永八(1779) 桜島大噴火
・天明二(1782) 天明の大飢饉(~1788)
・天明三(1783) 浅間山噴火
本当に大変な時代だと思う。
そんな時代に、当社は創建されたらしい。
ちなみにちょっとだけ脇道(地元ネタ)にそれますが、石神の女郎仏(埼玉県川口市)の出来事があったのは寛政二年(1790)なので、とても近いです。
“寛政二年の三月(今でいう5月くらい)のこと。
暴風雨の過ぎた翌朝、山林の中程から女性の鳴き声が聞こえてきた。嵐のあとの見回りをしていた村役は、不思議に思い見に行くと、十八、九くらいの気品のある美しい女性が病気で苦しんでいる。事情を聞いてみるが、話ができる状態でもなく、所持品もないので、どこの誰ともわからない。
そのまま放っておくこともできないので、庚申塚に仮小屋をつくり、そこへ運んで看病した。しかし、其のかいもなく五日後に亡くなってしまった。身元もわからないため、近所の人々を雇って、庚申塚に手厚く葬った。
仏があまりにも美しく可憐であったので、もしや女郎ではないかとの噂がたち、いつしか女郎仏として祀られるようになった。
一説には、由緒ある上臈ではないかとの話もある。越後新発田藩主の烙印で、由あって江戸から帰る途中、心無き付き添えに捨てられたとか。
また別の一説には梅毒に悩んだ(川越あたりの)遊女との説、また、死の間際に病に苦しむものを助けてやりたいと言ったとかで、婦人病に霊験ありと伝えられる。
下の病にきくと噂され、6日を命日と定めて、遠方からも参詣人が多く来る。”
話を戻します。
このような大変な時代に創建されたと伝えられる武蔵第六天神社。厄病除け・病気平癒に大きなご利益があることで知られているそうです。
では、当社の信仰はどのように始まったのか。
当社の始まりについては2つの説があるようです。
【その1】
その昔、ぴかぴかと光る御神体が元荒川の上流から流れてきた。村人が拾い祀ったところ、この地にあった病患いがなくなった。この神様のご利益は凄いと、評判がどんどん広まっていった。
【その2】
その昔、大戸村に堀切力弥という人がいて病人の面倒をよく見ていた。ある時、元荒川の河畔で雑草を刈っていると、金色の立派な御神体を納めた祠を見つけた。これを自宅に持ち帰り大切に祀っていたところ、夢枕に第六天神を名乗る白髪の老翁が現れて、秋にこの地を悪疫が襲うが、自分を奉拝すれば必ず免れると告げた。この言葉を信じ信仰していると、お告げのとおり疫病が大流行し命を落とす者が多かったが、力弥の一家は無事であった。以来、近郷の人々も厚く信仰すりょうになり、祠の出土した元荒川堤の地に小さな祠を建立して御神体を祀ったのが始まりだという。
ということで、2つの話の重なる部分からわかったのは、どうやら御神体は光り輝くものらしい、ということ。そしてどちらも病気に強い。
それだけ当時は疫病が流行ったのかもしれません。先ほど紹介したお女郎さまの話もやっぱり同じようなものですし。
そして、当社のご利益は確かに大変な評判だったようだ。江戸時代から明治まで、当社は村の鎮守でもなく、更には無社格であったにも関わらず、明治末の合祀政策のなかで他の神社が当社に合祀され、最終的に当社が残り村社となるに至ったというのは、如何に多くの人々に信奉されていたかがわかろうというものだ。
講は江戸時代から現代に至るまで盛んらしく、おそらく現在でも数千人規模の講員がいるものと思われる(これはまったくの私の推定、平成の始め頃の時点で約五千名だったらしい)。
ところで、岩槻にはもう1社、第六天神社がある。馬込という場所で、馬込の氏子の間では「大戸(武蔵第六天神社)の第六天様よりも古い」と伝わっているらしい。この馬込の第六天社には富士塚もあり、とても興味深い。まだ行ったことがないので、機会を見つけて行ってみたい。
馬込の第六天社の前の道路は、かつての武州鉄道の軌道跡であるという。今の国道122号線ですね。
(場所)
・武蔵第六天神社・・・埼玉県さいたま市岩槻区大戸1752
・第六天神社(馬込)・・・埼玉県さいたま市岩槻区馬込200
・女郎仏(妙延寺)・・・埼玉県川口市石神967-2
ところで、武蔵第六天神社の説話に出てくる「光る御神体」って、なんでしょうね?たまに似たような話を見つけることがあります。例えば、以前書いたこれ。
・松の木に光るもの
都内某所の天祖神社の話なんですが、いったい光るものって・・・。
2014年1月6日月曜日
第六天神社へ・・・欲界天の最高所に宮殿を備える超強力な天魔を祀る神社
年が明けてから、何社かの寺社をまわっている。
その中の1つが、第六天神社。
第六天とは、仏教で信奉している魔王。
欲界天の第六、つまり最高所に宮殿を備えた天魔である。
信長が自称したことで有名ですね。
この第六天神社というのは、江戸時代頃には関東のあちこちにあったらしい。
都内はもちろん数百という数で、私の住む埼玉県川口市内だけでも、個人所有も含めれば20弱の第六天神社があったようだ。
ところが、おそらくは明治の廃仏毀釈等の流れの中で廃れ、今ではほとんど目にすることができない。
多くは合祀(神社の合併のようなもの)されたり、名称や御祭神を変えたりしている。
例えば、第六天神社から社名を高木神社(台東区や葛飾区)に変えて、祭神を高皇産霊尊(別名高木の神だから高木神社・・・古事記の神武東征より)に変更した例がある。
他に、社名を変えた例でいえば、台東区蔵前にある榊神社、原宿と渋谷の中間あたりにある穏田神社などがあり、また民俗学者である白井永二氏は千葉・茨城に多い千勝(近津)神社もそうではないかと指摘している。
御祭神の変更でいえば、ほとんどは面足尊(おもだるのみこと)や淤母陀琉神(おもだるのかみ)といったところに変更あれている例が多いのだが、なぜこれらの神かというと、日本神話の神代七代にて六代目の神だから、第六天の六つながり・・・というもののようだ。
まぁ、社名も祀っている祭神も変えてしまえば、元のものとはまるっきり別のものになってしまう。だから、今だに「第六天神社」と称しているのはレアなケースだと思うのだが、ゼロではない。
私の行った岩槻の武蔵第六天神社のように、いくつかの第六天神社が未だに残っている。
残っているのだが、この岩槻の武蔵第六天神社も祭神は第六天としているわけではなく、やはり面足尊・吾屋惶根尊としている。
そもそも、第六天とはどんな神か。
かつて第六天について私がまとめた別ブログから引用しよう。
「身の丈は2里、寿命は人間の1600歳を1日とし、1万6千歳の長寿とされている。
男女に対して自由に交淫・受胎させることができる力があるとされ、他人の楽しみ事を自由自在に自分の楽しみにかえる法力を持っているので、他化自在天(たけじざいてん)と呼ぶのが本来の名である。
謡曲に「第六天」というのがあり、そこでは群魔を従えて現れ、煩悩・悪魔・障碍の群鬼の魔王と名乗りをあげる。
話の筋としては、解脱上人が伊勢へ参宮すると、神霊が女の姿で現れ、仏法の障碍を告げて消えた。すると天地鳴動して第六天が群魔を従えて現れる。それをスサノオノミコトが退散させる、というもの。
この謡曲の出典ともなった「太平記」では、第六天が公家と武家の仲をさき、承久の乱を企て世相を騒乱させようと悪魔外道とともに相談したという記事がある」
(存在証明より・・・自分で書いたブログだが、思うところ有りリンクは貼らない。存在証明&第六天でググればヒットすると思う)
ようするに、すごい力を持っている神様(?)なので、その恩恵(ご利益)にあずかろうということで広まったのではないかと思う。
実を言うと、私は一時期、「信長が第六天魔王を自称した→信長を敬う人たちが当時の政権下(秀吉や家康)ではおおっぴろにできなかった→だから第六天として信奉した」という可能性を疑ったが、いまだ未検証である。そうだったら面白いな、という程度の話だけれど。
ともかく、関東では大流行したはずだけれど、一気に廃れてしまった。未だにその存在は謎の部分が多い。おそらく、この第六天を広めた原動力は修験ではないかと思う。というのも、岩槻の武蔵第六天もそうだけれど、各地の第六天には天狗を関連付けているところが多い。
天狗はその容姿からも想像できるとおり、修験との関連が想像できる。
川口謙二氏も、次のように指摘してる。
「おそらく第六天は、修験者(山伏)が信奉していた仏神であることに間違いなかろう。
比叡山の守護神で、日枝山王七社の第六にあたる十禅師権現というのがある。
「沙石集」巻一に、「日吉諸社の中十禅師霊言あらたかにまします。本地地蔵菩薩なり」とある。
そのお姿は若僧の形か童子の形をしているが、もとは唐の職制のなかの禁中仏事に奉仕する僧職で、定員一〇名としていることから、十禅師とか十師と称されていたものである。
我が国では宝亀三年、宮中で初めてこの制度を採用し、平安朝以降、密教の僧をもってこの職に充てていたのであるが、それを日吉山王七社のうちに天台宗が組み入れたものである。
以上のことから、十禅師権現は宇賀神にも習合され、真言宗の稲荷信仰に対して、天台宗の十禅師信仰として布教されるようになり、
六欲天の最高位の第六天に習合させ、福神として民衆の間に広まったものが、そもそもの始まりではないかと考えている。」
十禅師や宇賀神などについてはよくわからないが、その広まりには修験が関与しているものというのは頷ける。日枝(比叡山)、日蓮&法華経、天台宗などとの関連からアプローチするのは面白いかもしれない。
ということで、この凄い神様を祀って・・・いるはずの、第六天神社。
ここに新年早々お参りしたのには、もちろん理由がある。もちろんお力を貸してほしいということ。
おみくじを引いたら、大吉でした。
実りある1年となりますよう・・・。
※追記:武蔵第六天神社について続き書いています。
→光るご神体~武蔵第六天神社の続き話
その中の1つが、第六天神社。
第六天とは、仏教で信奉している魔王。
欲界天の第六、つまり最高所に宮殿を備えた天魔である。
信長が自称したことで有名ですね。
初詣は一陽来福・武蔵第六天神社へ行ってきた。甘酒を頂く。 pic.twitter.com/0FdVGjH1wv
— 上根 又三郎 (@k_matasabur) 2014, 1月 4
この第六天神社というのは、江戸時代頃には関東のあちこちにあったらしい。
都内はもちろん数百という数で、私の住む埼玉県川口市内だけでも、個人所有も含めれば20弱の第六天神社があったようだ。
ところが、おそらくは明治の廃仏毀釈等の流れの中で廃れ、今ではほとんど目にすることができない。
多くは合祀(神社の合併のようなもの)されたり、名称や御祭神を変えたりしている。
例えば、第六天神社から社名を高木神社(台東区や葛飾区)に変えて、祭神を高皇産霊尊(別名高木の神だから高木神社・・・古事記の神武東征より)に変更した例がある。
他に、社名を変えた例でいえば、台東区蔵前にある榊神社、原宿と渋谷の中間あたりにある穏田神社などがあり、また民俗学者である白井永二氏は千葉・茨城に多い千勝(近津)神社もそうではないかと指摘している。
御祭神の変更でいえば、ほとんどは面足尊(おもだるのみこと)や淤母陀琉神(おもだるのかみ)といったところに変更あれている例が多いのだが、なぜこれらの神かというと、日本神話の神代七代にて六代目の神だから、第六天の六つながり・・・というもののようだ。
まぁ、社名も祀っている祭神も変えてしまえば、元のものとはまるっきり別のものになってしまう。だから、今だに「第六天神社」と称しているのはレアなケースだと思うのだが、ゼロではない。
私の行った岩槻の武蔵第六天神社のように、いくつかの第六天神社が未だに残っている。
この武蔵第六天神社は川辺にあり、のどかな風景がとても良い。駐車場もある。場所はさいたま市岩槻区大戸。合祀された神社を見ると、武蔵国東部の田園の広がる川辺の神社、という特徴がよくあらわれている。 pic.twitter.com/tH5qTKNFiy
— 上根 又三郎 (@k_matasabur) 2014, 1月 4
残っているのだが、この岩槻の武蔵第六天神社も祭神は第六天としているわけではなく、やはり面足尊・吾屋惶根尊としている。
そもそも、第六天とはどんな神か。
かつて第六天について私がまとめた別ブログから引用しよう。
「身の丈は2里、寿命は人間の1600歳を1日とし、1万6千歳の長寿とされている。
男女に対して自由に交淫・受胎させることができる力があるとされ、他人の楽しみ事を自由自在に自分の楽しみにかえる法力を持っているので、他化自在天(たけじざいてん)と呼ぶのが本来の名である。
謡曲に「第六天」というのがあり、そこでは群魔を従えて現れ、煩悩・悪魔・障碍の群鬼の魔王と名乗りをあげる。
話の筋としては、解脱上人が伊勢へ参宮すると、神霊が女の姿で現れ、仏法の障碍を告げて消えた。すると天地鳴動して第六天が群魔を従えて現れる。それをスサノオノミコトが退散させる、というもの。
この謡曲の出典ともなった「太平記」では、第六天が公家と武家の仲をさき、承久の乱を企て世相を騒乱させようと悪魔外道とともに相談したという記事がある」
(存在証明より・・・自分で書いたブログだが、思うところ有りリンクは貼らない。存在証明&第六天でググればヒットすると思う)
ようするに、すごい力を持っている神様(?)なので、その恩恵(ご利益)にあずかろうということで広まったのではないかと思う。
実を言うと、私は一時期、「信長が第六天魔王を自称した→信長を敬う人たちが当時の政権下(秀吉や家康)ではおおっぴろにできなかった→だから第六天として信奉した」という可能性を疑ったが、いまだ未検証である。そうだったら面白いな、という程度の話だけれど。
ともかく、関東では大流行したはずだけれど、一気に廃れてしまった。未だにその存在は謎の部分が多い。おそらく、この第六天を広めた原動力は修験ではないかと思う。というのも、岩槻の武蔵第六天もそうだけれど、各地の第六天には天狗を関連付けているところが多い。
天狗はその容姿からも想像できるとおり、修験との関連が想像できる。
川口謙二氏も、次のように指摘してる。
「おそらく第六天は、修験者(山伏)が信奉していた仏神であることに間違いなかろう。
比叡山の守護神で、日枝山王七社の第六にあたる十禅師権現というのがある。
「沙石集」巻一に、「日吉諸社の中十禅師霊言あらたかにまします。本地地蔵菩薩なり」とある。
そのお姿は若僧の形か童子の形をしているが、もとは唐の職制のなかの禁中仏事に奉仕する僧職で、定員一〇名としていることから、十禅師とか十師と称されていたものである。
我が国では宝亀三年、宮中で初めてこの制度を採用し、平安朝以降、密教の僧をもってこの職に充てていたのであるが、それを日吉山王七社のうちに天台宗が組み入れたものである。
以上のことから、十禅師権現は宇賀神にも習合され、真言宗の稲荷信仰に対して、天台宗の十禅師信仰として布教されるようになり、
六欲天の最高位の第六天に習合させ、福神として民衆の間に広まったものが、そもそもの始まりではないかと考えている。」
十禅師や宇賀神などについてはよくわからないが、その広まりには修験が関与しているものというのは頷ける。日枝(比叡山)、日蓮&法華経、天台宗などとの関連からアプローチするのは面白いかもしれない。
ということで、この凄い神様を祀って・・・いるはずの、第六天神社。
ここに新年早々お参りしたのには、もちろん理由がある。もちろんお力を貸してほしいということ。
おみくじを引いたら、大吉でした。
実りある1年となりますよう・・・。
※追記:武蔵第六天神社について続き書いています。
→光るご神体~武蔵第六天神社の続き話
2013年7月17日水曜日
西新井大師と胡録神社
今日は西新井大師に足を伸ばした。
東京都足立区西新井にあるのだが、この地名は、私の記憶が確かなら、新しい井(戸)の西にあるから西新井という由来だったと思う。
それであれば埼玉県川口市にある新井宿も、新しい井なのかと思うが、このあたりは定かではない。新井という地名は埼玉や東京のあちこちにあるが、川口の新井宿はその立地のほとんどが高台にあるし、宿とつくわりには宿場であった記録がない。
ただ、川口市にある西新井宿はかつて新井宿村から分村され、西の冠をつけることになったらしく、何の縁があるのかわからないが、現在、西新井宿にある宝蔵寺という寺は、私の記憶が正しければ、西新井大師と繋がりがある。
ところで、西新井大師から南西におよそ1キロほど行ったところに、胡録神社という神社がある。
今日は時間がなかったので足を伸ばさなかったが、ここも中々興味深い神社だ。
舎人ライナーという路線の江北駅のすぐそばにある。この神社、もともとは第六天を祭っていたという。
胡録神社という名の神社は、千住、松戸、市川のあたりにいくつか点在していて、一部では地名にもなっているらしい。
第六天を祭っていた神社の多くは合祀されたり、名称や祭神を変えたり、あるいは消えてしまったりしてその姿を変えてしまっている。
色々と理由はあると思うが、大きな出来事の1つは間違いなく幕末から明治にかけての神仏分離・廃仏毀釈の流れにあるのだろう。
本来の信仰が非常にわかりにくくなっている。
さてこの神社、今はどうかしらないが、私が行った時には、鳥居に蛇(龍)を模した注連縄のようなものが巻きつけられていた。写真も撮っているので機会があれば再度アップしたいが、なんともユーモラスな表情の龍蛇だ。
龍と関係があるのか?
龍といえば水辺だが、水辺であれば女神であることも多い。しかし、ここは千木・鰹木を見るに、男神のようだ。
ここにもきっと、色々な歴史があるのだろう。
時間のあるときに、改めて調べてみたいと思う。
東京都足立区西新井にあるのだが、この地名は、私の記憶が確かなら、新しい井(戸)の西にあるから西新井という由来だったと思う。
それであれば埼玉県川口市にある新井宿も、新しい井なのかと思うが、このあたりは定かではない。新井という地名は埼玉や東京のあちこちにあるが、川口の新井宿はその立地のほとんどが高台にあるし、宿とつくわりには宿場であった記録がない。
ただ、川口市にある西新井宿はかつて新井宿村から分村され、西の冠をつけることになったらしく、何の縁があるのかわからないが、現在、西新井宿にある宝蔵寺という寺は、私の記憶が正しければ、西新井大師と繋がりがある。
ところで、西新井大師から南西におよそ1キロほど行ったところに、胡録神社という神社がある。
今日は時間がなかったので足を伸ばさなかったが、ここも中々興味深い神社だ。
舎人ライナーという路線の江北駅のすぐそばにある。この神社、もともとは第六天を祭っていたという。
胡録神社という名の神社は、千住、松戸、市川のあたりにいくつか点在していて、一部では地名にもなっているらしい。
第六天を祭っていた神社の多くは合祀されたり、名称や祭神を変えたり、あるいは消えてしまったりしてその姿を変えてしまっている。
色々と理由はあると思うが、大きな出来事の1つは間違いなく幕末から明治にかけての神仏分離・廃仏毀釈の流れにあるのだろう。
本来の信仰が非常にわかりにくくなっている。
さてこの神社、今はどうかしらないが、私が行った時には、鳥居に蛇(龍)を模した注連縄のようなものが巻きつけられていた。写真も撮っているので機会があれば再度アップしたいが、なんともユーモラスな表情の龍蛇だ。
龍と関係があるのか?
龍といえば水辺だが、水辺であれば女神であることも多い。しかし、ここは千木・鰹木を見るに、男神のようだ。
ここにもきっと、色々な歴史があるのだろう。
時間のあるときに、改めて調べてみたいと思う。
2013年6月22日土曜日
夏至の日に考える、縁結び・子宝の神様
もうすぐ日付が変わってしまいそうだが、本日6月21日は夏至だった。
言うまでもなく、夏至(げし)とは、一年中で一番昼が長い日。 二十四節気の第十。つまり、日(太陽)の力が最大限に発揮される日なのだ。
太陽と言えば、天照大神。日の巫女だ。
アマテラスといえば、そう、伊勢神宮。
伊勢神宮のおひざ元、三重県伊勢市の二見浦にある夫婦岩では、夏至の時期だけ夫婦岩の間から朝日がのぼる。ゆえに本日、当地二見興玉神社の夫婦岩前では、恒例の禊ぎを行う夏至祭が行われたようだが、あいにくの雨だったようだ・・・。日の力がマックスの日なのに残念だ・・・。
ところで、この夏至の日というのは、目を諸外国に向けてみると色々と面白い行事が行われている。何でも北半球では歴史的に、夏至といえば「性欲をかき立てる日」とされているのだそうだ。
・至は男女の出会いの日? 欧州の伝統行事(CNN)
男性性器のシンボルと思われる柱を囲んでダンスを踊ったり、未婚女性が未来の男性を占ったりと、国によって色々あるみたい。日本でも夫婦岩にてお祭りがおこなわれるくらいだから、もしかしたら似たような意味合いがあったのかもしれない。
ところで、イギリスの有名なストーンヘッジでは、ドルイド教に由来する夏至祭りが行われる。ドルイド教とは、現在ではほとんどは失われてしまった昔の宗教だが、例えばハロウィンなどドルイド教に由来する風習は今でも形を変え生き続けている。
原始ハロウィンの考え方は、日本で言えばお盆や正月に通じるとところがあるし、木々や自然に神性を見出すところなんて日本の縄文文化と通じる。遠くにあるが、何やら近いものを感じる不思議な宗教だ。
そのドルイド由来の夏至祭り、男性神と女性神を表す太陽と地球との出会い祝う意味が込められているという。
あれ?
男性神が太陽で、女性神が地球なんだ?
日本では逆ですね。
アマテラスは女性神なのだから。
そういえば、もともとのアマテラスは男性神だったなんて説があったな。
まあ、いいか。
ともかく、夏至の本日は男女に関わる日であるというのが、世界の共通項の1つなのでした。
ちなみに、伊勢神宮では天照大神を祀っていますが、夫婦岩の方の二見興玉神社の祭神は、猿田彦大神と宇迦御魂大神です。
伊勢神宮、天照大神、夫婦岩、猿田彦、宇迦御魂大神、男性神と女性神、天と海・・・。伊勢神宮にかかわる謎は大きすぎて、私の手には負えません。
さて、夫婦岩の夫婦で思い出しましたが、東京にも夫婦にかかわる神社があります。
私好みの小さな神社なのですが、場所は新宿区。最寄り駅の新大久保から徒歩10分ほど行った住宅地の中にひっそりとある、夫婦木神社です。
祭神は伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)で、日本をつくった最初で最強の夫婦ですね。イザナギはアマテラスの親でもあります・・・。
子宝、安産、縁結びで知る人ぞ知る非常に有名な神社で、結婚式もやっているみたいですが、境内はとても狭い。
夫婦木神社というと、山梨にも同名の神社があり、こちらも有名な神社のようです。この山梨の方には男性・女性の性器のような霊木があるようですが、このような繁殖に対する神聖視が、そもそもなんでしょうね。石仏・道祖神や、東北などにある藁でマラをつくっているのと同じ始まりなんじゃないかと思います。
しかし、イザナギ&イザナミのカップルは、確かに子宝はあるものの、縁結びと安産にいいのだろうか・・・という捻くれた疑問が湧き上がったが振り払い、そう言えば我が町、埼玉県川口市には似たような神社がないだろうかと考える。
子宝といえば、新井宿の子日神社が上げられると思う。と言っても子日神社は子宝で信仰されていないのだが、子であるネズミは多産で子供をたくさん産むため、“子(ね)”の神社は、子宝子孫繁栄を願う意味で信仰されやすい。
また、第六天神社も子孫繁栄で信仰されてきた。しかし残念なことに、明治の神仏分離によって第六天のほとんどが姿を消している。末社としてひっそりと境内の隅に鎮座しているか、あるいは境内には既に姿はなく合祀されてしまっているか。
川口市内の第六天神社は次の通りである。
・西立野の二宮神社
・元郷の氷川神社
・領家の稲荷神社
・金山町の川口神社
・青木の氷川神社
・小谷場の稲荷神社
・柳崎の氷川社
・鳩ケ谷の氷川神社
夫婦といえば、姥神さまを思い出す。
姥神さまは西新井宿にある。日光御成道沿いで、石神地区のすぐそばだ。
言っておくが、姥神さまはやきもち焼きと言われているので、夫婦で行くのはタブーだ。なので縁結びも何もないのだが、実はかつて姥神さまには旦那さんがいた。道路の反対側に爺塚があったはずなのだが、現在行方不明だ。
うちのお爺さんが行方不明です。
どなたか知りませんか?
取り留めのない話になってしまった。
上記の事については、いずれ改めて。
言うまでもなく、夏至(げし)とは、一年中で一番昼が長い日。 二十四節気の第十。つまり、日(太陽)の力が最大限に発揮される日なのだ。
太陽と言えば、天照大神。日の巫女だ。
アマテラスといえば、そう、伊勢神宮。
伊勢神宮のおひざ元、三重県伊勢市の二見浦にある夫婦岩では、夏至の時期だけ夫婦岩の間から朝日がのぼる。ゆえに本日、当地二見興玉神社の夫婦岩前では、恒例の禊ぎを行う夏至祭が行われたようだが、あいにくの雨だったようだ・・・。日の力がマックスの日なのに残念だ・・・。
ところで、この夏至の日というのは、目を諸外国に向けてみると色々と面白い行事が行われている。何でも北半球では歴史的に、夏至といえば「性欲をかき立てる日」とされているのだそうだ。
・至は男女の出会いの日? 欧州の伝統行事(CNN)
男性性器のシンボルと思われる柱を囲んでダンスを踊ったり、未婚女性が未来の男性を占ったりと、国によって色々あるみたい。日本でも夫婦岩にてお祭りがおこなわれるくらいだから、もしかしたら似たような意味合いがあったのかもしれない。
ところで、イギリスの有名なストーンヘッジでは、ドルイド教に由来する夏至祭りが行われる。ドルイド教とは、現在ではほとんどは失われてしまった昔の宗教だが、例えばハロウィンなどドルイド教に由来する風習は今でも形を変え生き続けている。
原始ハロウィンの考え方は、日本で言えばお盆や正月に通じるとところがあるし、木々や自然に神性を見出すところなんて日本の縄文文化と通じる。遠くにあるが、何やら近いものを感じる不思議な宗教だ。
そのドルイド由来の夏至祭り、男性神と女性神を表す太陽と地球との出会い祝う意味が込められているという。
あれ?
男性神が太陽で、女性神が地球なんだ?
日本では逆ですね。
アマテラスは女性神なのだから。
そういえば、もともとのアマテラスは男性神だったなんて説があったな。
まあ、いいか。
ともかく、夏至の本日は男女に関わる日であるというのが、世界の共通項の1つなのでした。
ちなみに、伊勢神宮では天照大神を祀っていますが、夫婦岩の方の二見興玉神社の祭神は、猿田彦大神と宇迦御魂大神です。
伊勢神宮、天照大神、夫婦岩、猿田彦、宇迦御魂大神、男性神と女性神、天と海・・・。伊勢神宮にかかわる謎は大きすぎて、私の手には負えません。
さて、夫婦岩の夫婦で思い出しましたが、東京にも夫婦にかかわる神社があります。
私好みの小さな神社なのですが、場所は新宿区。最寄り駅の新大久保から徒歩10分ほど行った住宅地の中にひっそりとある、夫婦木神社です。
祭神は伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)で、日本をつくった最初で最強の夫婦ですね。イザナギはアマテラスの親でもあります・・・。
子宝、安産、縁結びで知る人ぞ知る非常に有名な神社で、結婚式もやっているみたいですが、境内はとても狭い。
夫婦木神社というと、山梨にも同名の神社があり、こちらも有名な神社のようです。この山梨の方には男性・女性の性器のような霊木があるようですが、このような繁殖に対する神聖視が、そもそもなんでしょうね。石仏・道祖神や、東北などにある藁でマラをつくっているのと同じ始まりなんじゃないかと思います。
しかし、イザナギ&イザナミのカップルは、確かに子宝はあるものの、縁結びと安産にいいのだろうか・・・という捻くれた疑問が湧き上がったが振り払い、そう言えば我が町、埼玉県川口市には似たような神社がないだろうかと考える。
子宝といえば、新井宿の子日神社が上げられると思う。と言っても子日神社は子宝で信仰されていないのだが、子であるネズミは多産で子供をたくさん産むため、“子(ね)”の神社は、子宝子孫繁栄を願う意味で信仰されやすい。
また、第六天神社も子孫繁栄で信仰されてきた。しかし残念なことに、明治の神仏分離によって第六天のほとんどが姿を消している。末社としてひっそりと境内の隅に鎮座しているか、あるいは境内には既に姿はなく合祀されてしまっているか。
川口市内の第六天神社は次の通りである。
・西立野の二宮神社
・元郷の氷川神社
・領家の稲荷神社
・金山町の川口神社
・青木の氷川神社
・小谷場の稲荷神社
・柳崎の氷川社
・鳩ケ谷の氷川神社
夫婦といえば、姥神さまを思い出す。
姥神さまは西新井宿にある。日光御成道沿いで、石神地区のすぐそばだ。
言っておくが、姥神さまはやきもち焼きと言われているので、夫婦で行くのはタブーだ。なので縁結びも何もないのだが、実はかつて姥神さまには旦那さんがいた。道路の反対側に爺塚があったはずなのだが、現在行方不明だ。
うちのお爺さんが行方不明です。
どなたか知りませんか?
取り留めのない話になってしまった。
上記の事については、いずれ改めて。
2013年6月11日火曜日
神社マーケティング
人は、自分の見たいものだけを見る。これは1つの真実だろう。
美しい人には、美しい所作を。
極悪人には、非道なふるまいを。
好きなアイドルはオナラをしない。
眼鏡をかけていれば真面目で勉強ができる。
憧れのあの人は不良に見えるが、実は優しい一面を持っている・・・と。
そして私の場合は、日本人にとって古くから精神的支柱であり続けた神社仏閣のような場所には、商業主義的な側面を見せないで欲しいと願ってしまう。
勝手な願いだ。それは十分に承知している。
これが私の色眼鏡だ。
その色が合わないと、私は少しがっかりしてしまう。
今や神社は村の神をそこに住む村人たちのために祀るというより、そこに生活の基盤を置く神主一家が生活していくためにも、ある程度の経済性が求められるところもあるだろう。建物や場所の維持管理だってお金はかかる。
だからある程度は仕方ないと思う。
しかし、その経済性の求め方が、ビジネス社会のように合理的でありすぎたり、心理学に基づいたマーケティング手法を巧妙に駆使していたりすると、私はちょっと引いてしまうのである。
埼玉県川口市にある、とあるそこそこ(地元では)有名なお寺では、卒塔婆に書く文字はなんと手書きではなくプリントアウトしているのだそうだ。そういう機会(プリンター?)があるらしい。
なんて合理的なんだ。御釈迦様もさぞかしびっくりしていることだろう。そのうちお経もウェブでダウンロードしたバーチャル・アイドル和尚の合成音声が奏でるようになるのかもしれない。
卒塔婆はぜひ、私としては是非手書きであってほしいところだ。
むろん、私は手書きで書く和尚さんの苦労を知らず、勝手なことを言って申し訳ないが。ちなみに私がお世話になっているお寺は手書きであり、とてもほっとしている。施餓鬼であれば相当な数を書かねばならないはずで、さぞかし苦労されているだろう。頭が下がる。
新宿の西口をしばらく行ったところに、とある神社がある。富士塚があるらしく、それを見に行ったところ、工事中で見ることができなかった。
なんの工事か。
なんと高層マンションを建設していたのだ。
この神社、反対する氏子一同を押し切り、神主一家が神社敷地内にマンションの建設を進めていた。むろん神主一家にも言い分があるのはわかるが、氏子あっての神社ではないの?神社は氏子のものか、それとも神主のものなのか、それとも・・・。本当に残念に思う。
少し前の記事だが、あるサイトにこんなことが書かれていた。
「初詣参拝9820万人!凄くて、巧妙な「神社」の手口に学べ。」
<ネット上の掲示板でこんな気になるやりとりがあったので記載する。
「神社で以前に祈祷を受けたことがあります。 その後、毎年DMが来て(○○の初穂料送金のための振込用紙つき) 今年は人形(ひとがた)?の紙が同封されていました。 (もしかしたら毎年同封されていたのかも・・・よく見ないで破棄していたので) 正直気味が悪いのですが、この人形って普通にゴミに捨てても大丈夫でしょうか。
また、神社が入金を促すようなDMをよこすことに なんとなく抵抗があるのですが、今時はこれが普通なのでしょうか。 義母が好んでいる神社なので節目には 参拝することが多いのですが、私自身はなんだか違和感があって できれば今後は他の神社に参りたいような気がしています。」 >
一方、次のような反論もあわせてのせている。
<「大祓の人形送ってくるくらい、昨今は普通じゃないの?
私は、奉賛会に入っている都内や地方の神社から送っていただいてます。
師走はともかく、水無月の大祓は平日が多くてなかなか参拝できないので、 そうやって人形を神社から送ってきてくださる方が、私なんかはかえってありがたいと思うのですが……。
観光がてらお参りした神社から送ってくださると、なんだかご縁ができたようで嬉しくなります。 人にもよるんでしょうね。」>
なるほど、色々な見方がある。
後者の意見の人は、大人だと思う。
残念なことに、私は前者の考えに近い。
私自身にも、次のような経験がある。
埼玉県の川沿い(元荒川)に、とある神社がある。
自然の残された静かな川面。涼しげな風が境内を静かに吹き抜け、心を癒される。お参りをして、ふと御神籤に目がとまる。ちゃらちゃらした今風の御神籤がならんでいる。名前と住所を記帳し、物販に力を入れているらしき社務所を軽く眺めて帰った。
しばらくして、この神社からのダイレクトメールが自宅に届いた。
封筒をあけると、中には神事の案内文と、人形(ひとがた・・・人の形をした紙)、振替払込用紙、返信用封筒が入っている。
人形に名前と住所を書き、同封の返信用封筒に入れて送ってくれ、お金は振替用紙で払ってくれ、というようなことが書かれていた。
返信用封筒はちゃんと郵便局で所定の手続きをしているらしく、一定の取扱量がないと利用できないであろう料金受取人払の封筒だ。
そして、もう一度送られてきた封筒に目を向けると、バーコードのシールが貼られている。どうやら渋谷のベンチャー系DM会社に発送業務を委託しているらしい。その会社のウェブサイトを見ると「開封率アップの秘密、教えます」とある。効果的なダイレクトメールの送り方を熟知しているプロなのだろう。きっと、効果があるのだと思う。
私には効果がないけれど。
もちろんこの神社、別に悪いことをしているわけではない。
ただ、こうしなければ神社さえも生き残れないのかと感じさせられる、今の時代がとてつもなく残念に感じる。
そして、これを残念だと感じる私は、きっと少数派なのだと思う。
普通の人がこのブログを見たら、私の頭はおかしいと思われてしまうのかもしれない。ちょっと幼稚な憤りかもしれない。
これをネタに神社にクレームなどを入れてブログで報告しようものなら、きっと大炎上するだろう。
赤ちゃんの泣き声がウルサイと航空会社にクレームを入れた作家さんや、病院で番号で呼ばれたことに立腹し1万円以上もする診察代を払った上得意のもとに来ないで呼びつけるとは何事だとキレた岩手県会議員のように。
なので、私は神社名を書かないし、もちろんクレームも入れない。炎上しなくても、そんな面倒なことはしないけれど。
ああ、コーポラティズム・・・。
そうつぶやいた、私の声がむなしく響く。
美しい人には、美しい所作を。
極悪人には、非道なふるまいを。
好きなアイドルはオナラをしない。
眼鏡をかけていれば真面目で勉強ができる。
憧れのあの人は不良に見えるが、実は優しい一面を持っている・・・と。
そして私の場合は、日本人にとって古くから精神的支柱であり続けた神社仏閣のような場所には、商業主義的な側面を見せないで欲しいと願ってしまう。
勝手な願いだ。それは十分に承知している。
これが私の色眼鏡だ。
その色が合わないと、私は少しがっかりしてしまう。
今や神社は村の神をそこに住む村人たちのために祀るというより、そこに生活の基盤を置く神主一家が生活していくためにも、ある程度の経済性が求められるところもあるだろう。建物や場所の維持管理だってお金はかかる。
だからある程度は仕方ないと思う。
しかし、その経済性の求め方が、ビジネス社会のように合理的でありすぎたり、心理学に基づいたマーケティング手法を巧妙に駆使していたりすると、私はちょっと引いてしまうのである。
埼玉県川口市にある、とあるそこそこ(地元では)有名なお寺では、卒塔婆に書く文字はなんと手書きではなくプリントアウトしているのだそうだ。そういう機会(プリンター?)があるらしい。
なんて合理的なんだ。御釈迦様もさぞかしびっくりしていることだろう。そのうちお経もウェブでダウンロードしたバーチャル・アイドル和尚の合成音声が奏でるようになるのかもしれない。
卒塔婆はぜひ、私としては是非手書きであってほしいところだ。
むろん、私は手書きで書く和尚さんの苦労を知らず、勝手なことを言って申し訳ないが。ちなみに私がお世話になっているお寺は手書きであり、とてもほっとしている。施餓鬼であれば相当な数を書かねばならないはずで、さぞかし苦労されているだろう。頭が下がる。
新宿の西口をしばらく行ったところに、とある神社がある。富士塚があるらしく、それを見に行ったところ、工事中で見ることができなかった。
なんの工事か。
なんと高層マンションを建設していたのだ。
この神社、反対する氏子一同を押し切り、神主一家が神社敷地内にマンションの建設を進めていた。むろん神主一家にも言い分があるのはわかるが、氏子あっての神社ではないの?神社は氏子のものか、それとも神主のものなのか、それとも・・・。本当に残念に思う。
少し前の記事だが、あるサイトにこんなことが書かれていた。
「初詣参拝9820万人!凄くて、巧妙な「神社」の手口に学べ。」
<ネット上の掲示板でこんな気になるやりとりがあったので記載する。
「神社で以前に祈祷を受けたことがあります。 その後、毎年DMが来て(○○の初穂料送金のための振込用紙つき) 今年は人形(ひとがた)?の紙が同封されていました。 (もしかしたら毎年同封されていたのかも・・・よく見ないで破棄していたので) 正直気味が悪いのですが、この人形って普通にゴミに捨てても大丈夫でしょうか。
また、神社が入金を促すようなDMをよこすことに なんとなく抵抗があるのですが、今時はこれが普通なのでしょうか。 義母が好んでいる神社なので節目には 参拝することが多いのですが、私自身はなんだか違和感があって できれば今後は他の神社に参りたいような気がしています。」 >
一方、次のような反論もあわせてのせている。
<「大祓の人形送ってくるくらい、昨今は普通じゃないの?
私は、奉賛会に入っている都内や地方の神社から送っていただいてます。
師走はともかく、水無月の大祓は平日が多くてなかなか参拝できないので、 そうやって人形を神社から送ってきてくださる方が、私なんかはかえってありがたいと思うのですが……。
観光がてらお参りした神社から送ってくださると、なんだかご縁ができたようで嬉しくなります。 人にもよるんでしょうね。」>
なるほど、色々な見方がある。
後者の意見の人は、大人だと思う。
残念なことに、私は前者の考えに近い。
私自身にも、次のような経験がある。
埼玉県の川沿い(元荒川)に、とある神社がある。
自然の残された静かな川面。涼しげな風が境内を静かに吹き抜け、心を癒される。お参りをして、ふと御神籤に目がとまる。ちゃらちゃらした今風の御神籤がならんでいる。名前と住所を記帳し、物販に力を入れているらしき社務所を軽く眺めて帰った。
しばらくして、この神社からのダイレクトメールが自宅に届いた。
封筒をあけると、中には神事の案内文と、人形(ひとがた・・・人の形をした紙)、振替払込用紙、返信用封筒が入っている。
人形に名前と住所を書き、同封の返信用封筒に入れて送ってくれ、お金は振替用紙で払ってくれ、というようなことが書かれていた。
返信用封筒はちゃんと郵便局で所定の手続きをしているらしく、一定の取扱量がないと利用できないであろう料金受取人払の封筒だ。
そして、もう一度送られてきた封筒に目を向けると、バーコードのシールが貼られている。どうやら渋谷のベンチャー系DM会社に発送業務を委託しているらしい。その会社のウェブサイトを見ると「開封率アップの秘密、教えます」とある。効果的なダイレクトメールの送り方を熟知しているプロなのだろう。きっと、効果があるのだと思う。
私には効果がないけれど。
もちろんこの神社、別に悪いことをしているわけではない。
ただ、こうしなければ神社さえも生き残れないのかと感じさせられる、今の時代がとてつもなく残念に感じる。
そして、これを残念だと感じる私は、きっと少数派なのだと思う。
普通の人がこのブログを見たら、私の頭はおかしいと思われてしまうのかもしれない。ちょっと幼稚な憤りかもしれない。
これをネタに神社にクレームなどを入れてブログで報告しようものなら、きっと大炎上するだろう。
赤ちゃんの泣き声がウルサイと航空会社にクレームを入れた作家さんや、病院で番号で呼ばれたことに立腹し1万円以上もする診察代を払った上得意のもとに来ないで呼びつけるとは何事だとキレた岩手県会議員のように。
なので、私は神社名を書かないし、もちろんクレームも入れない。炎上しなくても、そんな面倒なことはしないけれど。
ああ、コーポラティズム・・・。
そうつぶやいた、私の声がむなしく響く。
2013年6月4日火曜日
災いを背負う神
関東地方に多くある神社のなかに、第六天という不思議な神様がいる。
第六天というと、信長が自称したといわれる「第六天魔王」という言葉を思い浮かべる人もいると思うが、何を隠そう、この第六天という神様は信長が自称するとおり、魔王でもある。
第六天を祀る神社は、明治の廃仏毀釈の流れに乗り、ほとんどが祭神を変えられてしまった。神社の名称も変えられてしまったところも多く、信仰も途絶えてしまったため、今となってはどんな神様だったのか、非常にわかりにくくなってしまっている。
だが、この第六天という神様、江戸時代には結構な数で祀られていたらしい。私の住む埼玉県川口市でも、今はほとんど残っていないものの、かなりの数があったことがわかっている。
なぜ、江戸時代の人々は魔王なんか祀っていたのだろう?
と不思議に思ったけれど、よくよく考えてみれば、日本の神様はどれも魔王的な側面を持っていることに気がつく。
そう、負の側面を持つ神はたくさんいて、神様イコール簡単に善悪に分けられない。
たとえば天神様の菅原道真は日本を代表する大怨霊になったし、首が飛んだといわれる平将門も神田明神を代表に根強い人気がある。全国各地で祀られる古代神話のヒーロー、スサノオも、病や災いを引き連れる疫病神的な側面もある。
そういった負の側面が、転じて福を授ける側になる。
悪が善に変わる。
災いが福に転じる。
夢が叶わず志半ばで尽き果てた神が、今度はその願いを叶える立場に変わる。
これは日本の神の、とても興味深い側面だと思う。
乱暴者神スサノオは、日本中の災厄をその一身に背負う。
まるでイエスキリストみたいだ。
第六天という神についても、もしかしたら私たちが知らないだけで、深い意味合いをもつ神なのかもしれない。何か物語を背負っているのかもしれない。
第六天。もしかしたら、あなたのご近所にも祀られているかもしれない。
第六天というと、信長が自称したといわれる「第六天魔王」という言葉を思い浮かべる人もいると思うが、何を隠そう、この第六天という神様は信長が自称するとおり、魔王でもある。
第六天を祀る神社は、明治の廃仏毀釈の流れに乗り、ほとんどが祭神を変えられてしまった。神社の名称も変えられてしまったところも多く、信仰も途絶えてしまったため、今となってはどんな神様だったのか、非常にわかりにくくなってしまっている。
だが、この第六天という神様、江戸時代には結構な数で祀られていたらしい。私の住む埼玉県川口市でも、今はほとんど残っていないものの、かなりの数があったことがわかっている。
なぜ、江戸時代の人々は魔王なんか祀っていたのだろう?
と不思議に思ったけれど、よくよく考えてみれば、日本の神様はどれも魔王的な側面を持っていることに気がつく。
そう、負の側面を持つ神はたくさんいて、神様イコール簡単に善悪に分けられない。
たとえば天神様の菅原道真は日本を代表する大怨霊になったし、首が飛んだといわれる平将門も神田明神を代表に根強い人気がある。全国各地で祀られる古代神話のヒーロー、スサノオも、病や災いを引き連れる疫病神的な側面もある。
そういった負の側面が、転じて福を授ける側になる。
悪が善に変わる。
災いが福に転じる。
夢が叶わず志半ばで尽き果てた神が、今度はその願いを叶える立場に変わる。
これは日本の神の、とても興味深い側面だと思う。
乱暴者神スサノオは、日本中の災厄をその一身に背負う。
まるでイエスキリストみたいだ。
第六天という神についても、もしかしたら私たちが知らないだけで、深い意味合いをもつ神なのかもしれない。何か物語を背負っているのかもしれない。
第六天。もしかしたら、あなたのご近所にも祀られているかもしれない。
登録:
投稿 (Atom)