2014年2月21日金曜日

アチコチにある石の神様(お地蔵さん含む)は、実は奥が深そうという話。

今回は結構身近にあるのだが、なかなか気付かない道端の神さまについての話題で。


つい先日、東京は亀戸にある「石井神社」という神社に行ってきた。
ここの神社は結構古いらしく、もとは石神社といい、かつては御神体に石棒を祀っていたという。


ここは「おしゃもじ稲荷」として有名で、神社にはしゃもじが置いてある。咳の病にかかったら、この“おしゃもじ”を借りて家で拝み、治ったら新しい“しゃもじ”を添えてお返しするという風習がある。

“しゃもじ”関連の神社というのは全国に結構あって、以前、座間の方にある「おしゃもじ社」に行ったことがある。

“しゃもじ”に通じるのはご飯。なので、だから稲荷神社に多いのかなぁと思っている。

なのだが、“しゃもじ”にまつわる神社は、元々のところを見ると、石の神、つまり石神と関連している所が多い。冒頭の石井神社もそうで、先程も書いたけど、元は石の棒を祀っていたという。石の棒を祀るというケースは各地に多くあり、その信仰は縄文時代からのものと言われている。(シャグジ、ミシャグジ神、石神、石神井などで検索すればたくさん出てくると思う)


ところで、石の棒と言われると、どんな形を想像するだろうか?



まぁ、大体は男の“あの形”である。

石に限らないが、藁だったり木だったり、色々な素材で“あの形”(以下、面倒なので「きのこ」という)は表現される。ヤラシイ意味ではなく、生殖や出産というのはそれだけ神がかり的であり、大切なものだったのだろう。蛇や龍を藁で編んでいるケースも多々見かけるが、一部は「きのこ」に通じるんじゃないかと密かに勘ぐっている。



石の棒。
そして、その形状は「きのこ」だったとする。


であれば、ほら、“おしゃもじ”に通じるのではないか。

カタチ的に。

カンだけど、大体あっているのではないかと。


“しゃもじ”に関連する社・祠が、石井神社もそううだが、同時に咳に効くという伝承が伝わっているのが多いのは、やっぱり石→セキ→咳という変遷があったのではないかと思う。

石のカミ様だから、咳に効く、と。

実は咳の神様というのは各地の道端にたくさんある。
例えば私の住んでいる川口市にも、咳に効くという神様が、私の知る範囲でおよそ市内に3つはある。姥神様とかしゃぶき様とか名称は色々だが、ようするにお婆さんのカミさまで、咳の病気に効く。で、子供好きであることが多い。

都内にも墨田区の寺に有名な姥神様がいるし、埼玉の川越や浦和にもいたりする。多分、探せばもっとたくさんいる。(この姥神様については別途書きたいと思う)

この姥神様だが、夫婦神であるケースが多く、姥神様と並んで爺神様もあったりする。

つまり、どういう事か。

先ほどの石の棒に通じるのではないかー・・・と思うのである。

つまり、生殖や繁殖(出産)に繋がる、石の神である。

だから、姥神様は石で作られていることが多く、セキ(咳)の神でもある。ついでに言うと、セキから関所の関につながり、せき止める→塞き止める→塞の神として、村や辻などの境界に置かれることが多い。

道端の神さまといえばお地蔵さんだが、考えてみればホラ、お地蔵さんの形って、「きのこ」と似ているのではないか?だからこそ、お地蔵さんは「子供の守り神」なのではないか。石の棒がお地蔵さんに入れ替わったケースというのは、随分あったんじゃないかと推測する。


それにしても石の神というのは、古い古い時代の神であり、非常に奥が深い。


ところで、私の住む川口市には、石神(いしがみ)という地名がある。
地名由来は不明で、石の神を祀る社も見当たらない。しかし、この石神という地域は貝塚や遺跡なども多く、はるか縄文の頃から人々が暮らしていた歴史の古い場所である。

で、だ。
先ほど例として出した川口市内の姥神様の1つは、その石神との堺にある。
そして、冒頭の亀戸・石井神社だが、もとは石神社が石井という名称に変わったらしく、その変遷経緯(単に語尾が伸びたのか、それともシャグジが訛ったのか)はわからないが、川口の石神のあたりには、石井性が多いという点で、非常に興味深く思った次第である。


全国の石神、石神井という地名に住んでいる皆さん、どうでしょうか?

参考
東京村

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