2014年1月6日月曜日

第六天神社へ・・・欲界天の最高所に宮殿を備える超強力な天魔を祀る神社

年が明けてから、何社かの寺社をまわっている。

その中の1つが、第六天神社。
第六天とは、仏教で信奉している魔王。
欲界天の第六、つまり最高所に宮殿を備えた天魔である。

信長が自称したことで有名ですね。

この第六天神社というのは、江戸時代頃には関東のあちこちにあったらしい。
都内はもちろん数百という数で、私の住む埼玉県川口市内だけでも、個人所有も含めれば20弱の第六天神社があったようだ。
ところが、おそらくは明治の廃仏毀釈等の流れの中で廃れ、今ではほとんど目にすることができない。

多くは合祀(神社の合併のようなもの)されたり、名称や御祭神を変えたりしている。
例えば、第六天神社から社名を高木神社(台東区や葛飾区)に変えて、祭神を高皇産霊尊(別名高木の神だから高木神社・・・古事記の神武東征より)に変更した例がある。

他に、社名を変えた例でいえば、台東区蔵前にある榊神社、原宿と渋谷の中間あたりにある穏田神社などがあり、また民俗学者である白井永二氏は千葉・茨城に多い千勝(近津)神社もそうではないかと指摘している。

御祭神の変更でいえば、ほとんどは面足尊(おもだるのみこと)や淤母陀琉神(おもだるのかみ)といったところに変更あれている例が多いのだが、なぜこれらの神かというと、日本神話の神代七代にて六代目の神だから、第六天の六つながり・・・というもののようだ。

まぁ、社名も祀っている祭神も変えてしまえば、元のものとはまるっきり別のものになってしまう。だから、今だに「第六天神社」と称しているのはレアなケースだと思うのだが、ゼロではない。

私の行った岩槻の武蔵第六天神社のように、いくつかの第六天神社が未だに残っている。

残っているのだが、この岩槻の武蔵第六天神社も祭神は第六天としているわけではなく、やはり面足尊・吾屋惶根尊としている。


そもそも、第六天とはどんな神か。

かつて第六天について私がまとめた別ブログから引用しよう。

「身の丈は2里、寿命は人間の1600歳を1日とし、1万6千歳の長寿とされている。
男女に対して自由に交淫・受胎させることができる力があるとされ、他人の楽しみ事を自由自在に自分の楽しみにかえる法力を持っているので、他化自在天(たけじざいてん)と呼ぶのが本来の名である。

謡曲に「第六天」というのがあり、そこでは群魔を従えて現れ、煩悩・悪魔・障碍の群鬼の魔王と名乗りをあげる。
話の筋としては、解脱上人が伊勢へ参宮すると、神霊が女の姿で現れ、仏法の障碍を告げて消えた。すると天地鳴動して第六天が群魔を従えて現れる。それをスサノオノミコトが退散させる、というもの。
この謡曲の出典ともなった「太平記」では、第六天が公家と武家の仲をさき、承久の乱を企て世相を騒乱させようと悪魔外道とともに相談したという記事がある」
(存在証明より・・・自分で書いたブログだが、思うところ有りリンクは貼らない。存在証明&第六天でググればヒットすると思う)

ようするに、すごい力を持っている神様(?)なので、その恩恵(ご利益)にあずかろうということで広まったのではないかと思う。

実を言うと、私は一時期、「信長が第六天魔王を自称した→信長を敬う人たちが当時の政権下(秀吉や家康)ではおおっぴろにできなかった→だから第六天として信奉した」という可能性を疑ったが、いまだ未検証である。そうだったら面白いな、という程度の話だけれど。

ともかく、関東では大流行したはずだけれど、一気に廃れてしまった。未だにその存在は謎の部分が多い。おそらく、この第六天を広めた原動力は修験ではないかと思う。というのも、岩槻の武蔵第六天もそうだけれど、各地の第六天には天狗を関連付けているところが多い。

天狗はその容姿からも想像できるとおり、修験との関連が想像できる。
川口謙二氏も、次のように指摘してる。

「おそらく第六天は、修験者(山伏)が信奉していた仏神であることに間違いなかろう。
比叡山の守護神で、日枝山王七社の第六にあたる十禅師権現というのがある。
「沙石集」巻一に、「日吉諸社の中十禅師霊言あらたかにまします。本地地蔵菩薩なり」とある。
そのお姿は若僧の形か童子の形をしているが、もとは唐の職制のなかの禁中仏事に奉仕する僧職で、定員一〇名としていることから、十禅師とか十師と称されていたものである。
我が国では宝亀三年、宮中で初めてこの制度を採用し、平安朝以降、密教の僧をもってこの職に充てていたのであるが、それを日吉山王七社のうちに天台宗が組み入れたものである。
以上のことから、十禅師権現は宇賀神にも習合され、真言宗の稲荷信仰に対して、天台宗の十禅師信仰として布教されるようになり、
六欲天の最高位の第六天に習合させ、福神として民衆の間に広まったものが、そもそもの始まりではないかと考えている。」

十禅師や宇賀神などについてはよくわからないが、その広まりには修験が関与しているものというのは頷ける。日枝(比叡山)、日蓮&法華経、天台宗などとの関連からアプローチするのは面白いかもしれない。


ということで、この凄い神様を祀って・・・いるはずの、第六天神社。
ここに新年早々お参りしたのには、もちろん理由がある。もちろんお力を貸してほしいということ。

おみくじを引いたら、大吉でした。

実りある1年となりますよう・・・。

※追記:武蔵第六天神社について続き書いています。
光るご神体~武蔵第六天神社の続き話


6 件のコメント:

  1. 上根又三郎2014年1月7日 16:55

    このコメントはブログの管理者によって削除されました。

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  2. ほんのり梅酒2014年1月8日 7:34

    あけましておめでとうございます。また、書き込みが出来るようにしていただいてありがとうございます。さて、以前の記事も読んで気にはなっていたのですが第六天神社、謎ですね。そんなにたくさんありながら富士講のように記録がない。由来がはっきりしないの不思議ですね。また、山伏と言えばストイックに精神を研ぎ澄ますこと、修行そのものが目的というイメージがあるので川口氏が言うように現世利益的な目的で神社を建てるというのは何か違う気がします。まして仏の対極の魔王を福神て。鬼子母神的なものですかね。一部民間には信奉されながら由来については秘さなければならなかった隠れキリシタン的な匂いがするんですけどねぇ。どうでしょ。

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  3. 明けましておめでとうございます。コメント有難うございます。
    確かに謎の多い第六天ですが、武蔵第六天社の案内板によると、現在でも講が結成されて信仰されているようなので、詳しく知っている人も何処かにいるのかもしれないですね。

    新井宿の近場では、御成街道沿いに、今で言う鳩ヶ谷の桜町1丁目のあたりにもあったようですよ。絵図なんかに描いてありました。あと詳しい場所は不明ですが、道合にも村民持ちであったようです(新編武蔵風土記)。
    第六天についてはもっと突っ込んで調べてみたいんですが、中々時間がなくて・・・。引き続き調べて、随時公開したいと思います。なにか情報あったら教えてください。

    考えてみれば、天狗も妖怪だし、大怨霊とされた平将門や菅原道真も祀られ広がっていますから、日本人の信仰って面白いですよね。

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  4. 追加です。
    修験者についてですが、第六天(他化自在天)は仏法守護の神として信仰されていたようです。詳しいことはわかりませんが。神=ゴッドとカミが違うように、サタンと魔(王、天魔)は違うのでしょうね。

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  5. ふ~む。仏も魔も紙一重ですね。キリスト教の堕天使サタンはあくまで悪ですが、仏教はというか神道は最後は仲間になるんですね。和を尊ぶ日本人らしい。

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  6. こんにちは、コメントありがとうございます。

    >和を尊ぶ日本人らしい。
    日本人の宗教観(?)は、見方によっては節操ないように見えますけど、まーそんな日本で良かったな~と思います。
    極東の島国という地理的条件のためかわかりませんが、日本のカミに対する考え方って面白いところありますよね。

    例えば芥川龍之介の小説に、宣教師オルガンティノと老人(日本の古いカミ)の会話のシーンがあるんですが、その老人(日本の古いカミ)がこんな事を言っています。

    「ただ帰依したと云う事だけならば、この国の土人は大部分したあるた(シッダールタ)の教えに帰依しています。
    しかし、我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。」

    日本人は外国から来た宗教なり文化なりを、自分たち流に造り変えると。
    この「造り変える力」って、うまい表現ですよね。

    なにせ我々のカミは、
    「我々は古い神ですからね。あのギリシャの神々のように、世界の夜明けを見た神ですからね。」
    ということらしいですから。

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