2014年1月9日木曜日

光るご神体~武蔵第六天神社の続き話

前回も書きました「武蔵第六天神社」について。

ちょっと追加で調べてみたので、追記です。
今回は第六天全体ではなく、「武蔵第六天神社」にフォーカスします。

というかですね、神社のウェブサイトもしっかりありました。
あまりネット見ないので(ブログやってるくせに)、気づきませんでした。
リンク貼っておきます。

・武蔵第六天神社

武蔵第六天神社の創建は、神社のウェブサイトによると「第119代光格天皇の御代、天明2年6月15日の御鎮祭」よりと伝えられているらしい。

天明二年というと、江戸時代。西暦でいうと1782年なのですが、この時期がどんな時代だったかというと、ちょうど「天明の大飢饉」のあった時期で、これは「日本の近世で最大の飢饉」であり、つまり大変な時代だったわけです。

時系列で語るとこんな時代。

・安永八(1779) 桜島大噴火
・天明二(1782) 天明の大飢饉(~1788)
・天明三(1783) 浅間山噴火

本当に大変な時代だと思う。
そんな時代に、当社は創建されたらしい。

ちなみにちょっとだけ脇道(地元ネタ)にそれますが、石神の女郎仏(埼玉県川口市)の出来事があったのは寛政二年(1790)なので、とても近いです。
“寛政二年の三月(今でいう5月くらい)のこと。
暴風雨の過ぎた翌朝、山林の中程から女性の鳴き声が聞こえてきた。嵐のあとの見回りをしていた村役は、不思議に思い見に行くと、十八、九くらいの気品のある美しい女性が病気で苦しんでいる。事情を聞いてみるが、話ができる状態でもなく、所持品もないので、どこの誰ともわからない。
そのまま放っておくこともできないので、庚申塚に仮小屋をつくり、そこへ運んで看病した。しかし、其のかいもなく五日後に亡くなってしまった。身元もわからないため、近所の人々を雇って、庚申塚に手厚く葬った。
仏があまりにも美しく可憐であったので、もしや女郎ではないかとの噂がたち、いつしか女郎仏として祀られるようになった。
一説には、由緒ある上臈ではないかとの話もある。越後新発田藩主の烙印で、由あって江戸から帰る途中、心無き付き添えに捨てられたとか。
また別の一説には梅毒に悩んだ(川越あたりの)遊女との説、また、死の間際に病に苦しむものを助けてやりたいと言ったとかで、婦人病に霊験ありと伝えられる。
下の病にきくと噂され、6日を命日と定めて、遠方からも参詣人が多く来る。”

話を戻します。


 このような大変な時代に創建されたと伝えられる武蔵第六天神社。厄病除け・病気平癒に大きなご利益があることで知られているそうです。
では、当社の信仰はどのように始まったのか。

当社の始まりについては2つの説があるようです。

【その1】
その昔、ぴかぴかと光る御神体が元荒川の上流から流れてきた。村人が拾い祀ったところ、この地にあった病患いがなくなった。この神様のご利益は凄いと、評判がどんどん広まっていった。

【その2】
その昔、大戸村に堀切力弥という人がいて病人の面倒をよく見ていた。ある時、元荒川の河畔で雑草を刈っていると、金色の立派な御神体を納めた祠を見つけた。これを自宅に持ち帰り大切に祀っていたところ、夢枕に第六天神を名乗る白髪の老翁が現れて、秋にこの地を悪疫が襲うが、自分を奉拝すれば必ず免れると告げた。この言葉を信じ信仰していると、お告げのとおり疫病が大流行し命を落とす者が多かったが、力弥の一家は無事であった。以来、近郷の人々も厚く信仰すりょうになり、祠の出土した元荒川堤の地に小さな祠を建立して御神体を祀ったのが始まりだという。

ということで、2つの話の重なる部分からわかったのは、どうやら御神体は光り輝くものらしい、ということ。そしてどちらも病気に強い。

それだけ当時は疫病が流行ったのかもしれません。先ほど紹介したお女郎さまの話もやっぱり同じようなものですし。
そして、当社のご利益は確かに大変な評判だったようだ。江戸時代から明治まで、当社は村の鎮守でもなく、更には無社格であったにも関わらず、明治末の合祀政策のなかで他の神社が当社に合祀され、最終的に当社が残り村社となるに至ったというのは、如何に多くの人々に信奉されていたかがわかろうというものだ。

講は江戸時代から現代に至るまで盛んらしく、おそらく現在でも数千人規模の講員がいるものと思われる(これはまったくの私の推定、平成の始め頃の時点で約五千名だったらしい)。

ところで、岩槻にはもう1社、第六天神社がある。馬込という場所で、馬込の氏子の間では「大戸(武蔵第六天神社)の第六天様よりも古い」と伝わっているらしい。この馬込の第六天社には富士塚もあり、とても興味深い。まだ行ったことがないので、機会を見つけて行ってみたい。

馬込の第六天社の前の道路は、かつての武州鉄道の軌道跡であるという。今の国道122号線ですね。

(場所)
・武蔵第六天神社・・・埼玉県さいたま市岩槻区大戸1752
・第六天神社(馬込)・・・埼玉県さいたま市岩槻区馬込200
・女郎仏(妙延寺)・・・埼玉県川口市石神967-2

ところで、武蔵第六天神社の説話に出てくる「光る御神体」って、なんでしょうね?たまに似たような話を見つけることがあります。例えば、以前書いたこれ。

・松の木に光るもの

都内某所の天祖神社の話なんですが、いったい光るものって・・・。

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