2013年9月17日火曜日

松の木に光るもの

ツイッターでは過去につぶやいたことがあるので、あえて伏せる意味はないかもしれないが、東京都の某所に、とある天祖神社がある。


天祖神社ということは、天照大神を主祭神とする神社であり、かつては神明社だったようだ。境内には龍神や稲荷神なども祀られている。

さてこの神社、江戸時代からあるようなのだが、伝承によると、
「この境内には大きな松の大木があり、時折、その松に光るものがあった。村人たちはそれを祀っていた」

という話が伝わっている。

この光るものとは、いったいなんなのだろう?

最寄駅の図書館でこの神社について調べてみようと思ったが、新しく開館(新装?)したためか、郷土関連の資料が少ない。少ないながら調べてみると、この神社については次のようなことが書かれていた。

  • 元禄十(1697)年に鎮座。古記録では深川鎮守本宮別神霊(深川森下町鎮座天祖神社)の分霊を勧請。
  • 同地域には天祖神社が2社あり、どちらもすぐ近くに子育て地蔵が祀られていて、どちらも“松の木”に関わる伝承がある。
思わせぶりに書いているが、この2つの天祖神社について何か秘密を掴んでいるわけでもなく、面白い推理があるわけでもないのを正直に告白しておこう。

にしても、同じ地域に天祖神社が2社あり、どちらも松の木に関わる伝承があるというのは面白い偶然だ。当社に伝わる伝承は先に書いた「光るもの」だが、もう1社の方は「洪水に流された時に松の大木に掴まって助かった」というようなものであり、伝承の性質も異なれば時代も異なる。ただ、とても大きな松があった・・・という点にのみ共通するだけだ。


それにしても、当社の村人が祀っていた「光るもの」とは一体なんだろう?


たいていの神社の祭神は、後付けされたものがほとんどと考えていいと思う。
例えば、これは出雲の場合だが(孫引き)、

「延喜式」の神名帳を見てもおよそ64%が祭神不明の神社となっている。それが享保二年(1717)の「雲陽誌」以降になると、祭神はほとんど判明してしまう。ということは、祭神不明社にあっては、おそらっく中世以後、あらたに記紀などから得られる著名な神名を祭神に当てていったことを物語っていると西宮は言う(島根の神々)。
 ※参考:日本の神々 (岩波新書)
 

出雲に関わらず、どこでも同じ傾向はあると思う。
例えば我が埼玉の、というか武蔵国の一宮、大宮にある氷川神社だって、古くはアラハバキを主祭神にしてた可能性は高いし、もっと古くは見沼の水の神を祭っていたのではないかと思うのだが、今はご存知のとおり素戔嗚尊となっている。

だとしたら、先の天祖神社のもともとの神はなんだろう?

立地で考えると、当地は江戸期に新田として開発された地である。そして、かつてはすぐ近くに大河と海があった(今も大きな川があるが、昔はもっと距離が近かった)。

当社には龍神・水神が祀られているので、もしかしたらそれが古い神かもしれない。


だけど、そうすると「松の木に光るもの」とは一体何モノか、ますますわからなくなる。まさか松の木に絡まる龍の光る目をみたわけでもあるまい、とは思う。

ところで以前、私は夜の氷川神社(新井宿)で、フクロウらしき白い鳥を見たことがある。見間違いだったかもしれないし、フクロウではなく別の鳥だったかもしれないが、少し離れた場所から見たその大きな鳥は、白く光ってみえ・・・ないこともない。もしかしたら、フクロウや、あるいはホタルなどが松の木にとまり、何かしらの理由があって祭っていたのかもしれない。

まさか、本当に光る神霊や、宇宙人・UFOが来ているわけでもあるまい、とは思う。

もう1つの可能性として、私は随分昔に読んだ「モチモチの木」を思い出す。



この天祖神社にある松の大木にも、モチモチの木に火が灯るように、そんな風景や忘れ去られた物語があったのかもしれない。

或いは月待ちか・・・。
伊勢神宮近くにある二見浦の夫婦岩から昇る太陽よろしく、松の木に映える満月や太陽を信仰したのかもしれない。だとしたら、太陽にしろ月にしろ、天照大神との関係は強いことになる。

いずれにせよ、松の大木はすでになく、真相はいつもと同様わからず終い。

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