2013年7月23日火曜日

木が切られ、道路が拡張される

地元(埼玉県川口市)ネタです。

最近気がついたのだが、新井宿の子日神社と西新井宿の氷川神社、どちらも「御由緒」なるものがか掲げられている。
「御由緒」の内容は、縁起と祭神、神徳、祭日など。
書いてある内容からすると、神社庁の「埼玉の神社」の記載内容から一部抜粋しているのかもしれない。

最近、このあたりは、新井宿駅を起点として、催し物などが盛んに行われているようだ。私は1度も行ったことがないのだけれど。

その流れで、地域の歴史を残していこうという流れなのかもしれない。


一方で、この地域では道路拡張など開発が進みつつある。
立地の都合もあって、高度成長期やバブル期などの土地開発を(比較的に)くぐり抜けてきた当地だが、駅ができたこともあり、最近は色々と風景が変わりつつある。


かつて、西新井宿には牛頭天王社があった(氷川神社に合祀)。
御成道から少し入った場所にあったとも思われるのだが、その道の入口に、まるで目印であるかのように、1本の大きな木が生えていた。
御成道を通っていると、遠くからでもこの木が見えたものだが、道路拡張の為か。いつの間にかなくなっている。

仕方のないことなのかもしれないが、これが私には少し残念な気がするのだ。


日本人の習性として、たとえ人間以外であったとしても、長寿のものには敬意を払うという傾向がある。
なので、人の何倍も生きている木には敬意をはらい大切にするし、そこには人知を超えた霊的な存在を感じて、敬うことも多い。


伐採できない木という話が、全国各地にある。

なんでこんな場所に木が、と言うような場所を、車を運転していれば何度か目にしたことがあるはずだ。大抵の場合、伐採しようとすると神罰がくだったり、霊的現象(事故にあう、霊がでる等)が怒る、などと言われている。

神罰や霊現象を信じるか否かは置いておいて、自然に多少の配慮をすることは、けっして間違いではないと思う。その配慮の程度が問題なのだと思うが、長く生きている木には敬意を払うという非合理的な考え方を、少なくとも私は好ましく感じる。人は欲の強い生き物なので、遠慮深さを保つことを意識せずにいたら、いつの間にか歯止めが効かなってしまうのではないか。


さて、この道路拡張の流れは、新井宿・西新井宿だけにとどまらない。
石神の方にも随分前から伸びていて、その切っ先は「おんたけさん」こと御嶽講の塚の目前まで来ている。どう考えても、この塚を崩さないと、道路は拡張できない。

長らくこの道は、車の車の通行量の割に歩道のない狭い道で、小学校の通学路でもあり、大変危険ば道路でもあった。かつて痛ましい事故もあり、それを機にその小学に通う小学生は通学時にヘルメット着用を義務付けられていた時期もある。
なので、安全に配慮する目的からも、道路拡張は仕方のないことだといえる。

ただ願わくば・・・。
できる限り、移築や保存を心がけてほしい。
そして丁重な祭祀を。

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