2013年6月15日土曜日

てるてる坊主と皇居の人柱、そして聖の運命

明日は休日だというのに、雨になりそうだ。
梅雨の時期だから雨が降るのが当たり前。降るべき時に降らないと、渇水などで逆に困ったことになってしまう。わかっているけれど、雨空というのはやっぱり憂鬱な気持ちになる。


雨といえば、てるてる坊主。
翌日の天気をかなえてもらうために願をかけられるのだが、よくよく考えてみると、あの姿は異様だ。


坊主というくらいだから、仏教者か。
その坊主が吊るされるその姿は、まるで首つりみたいじゃないか。
しかも雨ざらしである。
そしてひときわ異様なのが、てるてる坊主の歌の歌詞だ。

「てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ」

晴れたら金の鈴をあげる、さらには甘いお酒をあげると歌詞は続く。

問題なのは3番目の歌詞だ。

てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ

 それでも曇って 泣いてたら そなたの首を ちょんと切るぞ


願いを聞いてそれを叶えることができれば褒美がでるが、失敗すれば首を切られてしまうのである。まるで吊りあわない、いや、釣り合わない。



大正末期、皇居で人柱が発見されるという事件が起きた。

関東大震災による改修工事にあたっていたところ、頭の上に古銭を乗せられた16体の人骨が発見されたのだ。江戸城建築の際の、人柱ではないかと話題になった。

江戸には人骨がたくさん埋まっているといわれている。
寺の移転が頻繁にあったのだが、その時、上モノだけが移転され、不思議と人骨は粗末に扱われていた。そのまま置き去りにされるということが多くあったようだ。
果たして本当に人柱なのか、そうではないのか、よくわからないが何とも不気味な話である。


てるてる坊主も、人柱のようなものだろうか。


「倭人が海を渡るとき、持衰(じさい)が選ばれる。」
魏志倭人伝に、そんなことが書かれている。

持衰は、中国と舟で行き来するときに1人選ばれ、人と接しず、婦人を近づけず、虱は取らず、服は汚れるまま、喪人の如くせしむ。
持衰は、舟が無事であれば褒美が与えられるが、船に災難があれば、殺されてしまう。


持衰の正体について私は詳しく知らないが、てるてる坊主にそっくりの境遇だ。
卑弥呼の死亡説の1つに、卑弥呼が占いを外したことによって人々の信任を失った(あるいは神がかり的なな力を失った)、というものがある。
古代、聖なるものは事がうまくいっている間は大切に崇められるが、不思議な力を失ったとみなされると、手のひらを返したように、その座を追われる。つまり死をもって償わされる。
そんな風潮があったのだろうか。

柳田國男は、ずっと大昔の祭りにおいて、祭りの度ごと聖別のために神主の片目をつぶしたり、
あるいは1人ずつの神主を殺す風習があったのではないかと、一目の妖怪や片目の魚の伝承を引き合いにしながら推測している。

てるてる坊主は“日知り”、つまり聖だったのかもしれない。

てるてる坊主を軒下に吊るして晴天を祈る風習は、すでに平安時代には記されている。
天候の左右が今より人々の生命に直結していた時代、日知りの責任の重さは、命よりも重かったのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿