2013年6月13日木曜日

子日神社は、何の神社か?

私の住んでいる地域に、子日(ねのひ)神社という名前の神社があります。

ちょっと変わった立地の神社でして、何が変わっているかというと、道路を挟んで反対側に氷川神社があり、両社は向かい合っているのです。ずっと昔から、江戸時代から両社は対面している。



この子日神社は↑の絵図でいうところの、上に位置している。

この神社、現在の祭神は大己貴命(おおむなちのみこと)であり、大己貴命はイコール大国主命(おおくにぬしのみこと)であり、スサノオの子孫といわれる神様で、いわゆる国津神と呼ばれる古くからの神様です。

ですがこの子日神社、そもそもは子の聖を祀っていたという。
子の聖とは、簡単に言ってしまえば、とある偉いお坊さんのことで、この子の聖を祀っている神社は、実は関東を中心にあちこちにある。結構な数があると思われるのだけど、あまり知られていない。つまり、おそらく歴史の途中で廃れてしまったというか、勢力の弱まってしまった神社なのではないかと思う。

例えば私の住んでいる埼玉県川口市には、私の知るだけで3か所の子の聖を祀った神社があり、そのほかに1カ所、子の聖にゆかりの地名が残っている。東京都内でも、例えば目黒区に地名が残っていたりするし、神奈川にもあちこちにゆかりの神社が残っている。

いずれの神社も、子神社、根神社、子の権現という名称で、子の聖か大国主命(大己貴命)を祭神としている。

本当にあちこちにあるのだけれど、一番有名なのは、埼玉県飯能市にある天龍寺だ。そこには子の聖を伝える話が残っている。

子の聖とは、天長九年(832)、子の年、子の月、子の日、子の刻に紀伊の国で生まれ、7歳で出家して仏門に帰依したといわれ、数々の伝説を残している。そして、子の聖を祀る神社(寺社)に共通して、足腰の神様という特徴がある。先の天龍寺には大きな草鞋があるし、冒頭に紹介した私の近隣地域にある子日神社にも草鞋が下げられている。



分布から見て、山伏と同じように山岳信仰に近いものがあり、ゆえに足腰につながったのではないかと私は見ている。子の聖をあがめるお弟子さんか信者が、各地に子の聖を祀ったのではないか。


ちなみに、ここで紹介している子日神社のある場所は、埼玉県川口市の新井宿という場所だ。
ここはちょっとした高台にあり、近くに流れる川もなく、用水を引くのも苦労する場所で、江戸時代の資料などをみると随分干ばつ・水不足に悩まされたようだ。

実は、子の聖には龍、つまり水に関する説話がある。

先に紹介した天龍寺に伝わる子の聖の話には、悪鬼に火で攻められた子の聖が龍の力によって豪雨を降らせ、災難をかわした話が残っている(天の龍、ゆえに天龍寺)。

聖(ひじり)は、すなわち「日知り」、日を知る知識の深い人である。ゆえに、全てではないにしろ、子の神の信仰と雨乞いに、多少の関係があるのではないかと考えているのだが、それについてはまた改めたい。


なお、今の祭神は大国主命(大己貴命)が祀られている。祭神が変わってしまったきっかけは明治の神仏分離だと思うけれど、それにしてもなぜ大国主命(大己貴命)なのか。

私は次の3つの理由が関係していると思う。

1つ。
子の聖の“子”は、ネズミに関係する。大黒様とも融合する大国主命はネズミを使役している。ちなみに、大黒様は米俵の神様でもあり、米すなわち農業と水は切っても切れない関係ではないかと考えるが、また話が元に戻ってしまうので深くは追求しない。

2つ。
子の神の“子”は、根に通じ、根の国といえば地底の(死者の)国であり、そこにはスサノオがいる。神話に伝わる大国主命の武勇伝に、根の国へ行き、スサノオにシゴカレル話があるとおり、大国主命と根の国は、深い縁がある。

3つ。
2つ目で紹介したとおり、大国主命は根の国へ行き、スサノオにシゴカレル。そのしごきの1つに、火攻めがある。寸前のところでネズミに救われるという(1につながるような)話の流れなのだが、この火に攻められるあたり、子の聖の法難と同じではないか。火防の神にならなかったのが不思議なくらいだが、このような共通項がある。

他にも理由があるかもしれないが、私は上にあげた3つの理由を指摘しておきたい。


子の神、子の聖は関東を中心にあちこちにあるのに、あまり知られていないのは残念なことだと思う。私の住む埼玉県川口市には、かつては少なくとも4つの子の神社があったはずだが、独立した神社として残るのは、わずか1つ。子日神社のみだ。

今まさに消えそうな、1つの信仰。

色々と調べて、書き遺して行きたいと思う。

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