2013年6月11日火曜日

神社マーケティング

人は、自分の見たいものだけを見る。これは1つの真実だろう。

美しい人には、美しい所作を。
極悪人には、非道なふるまいを。

好きなアイドルはオナラをしない。
眼鏡をかけていれば真面目で勉強ができる。
憧れのあの人は不良に見えるが、実は優しい一面を持っている・・・と。


そして私の場合は、日本人にとって古くから精神的支柱であり続けた神社仏閣のような場所には、商業主義的な側面を見せないで欲しいと願ってしまう。

勝手な願いだ。それは十分に承知している。
これが私の色眼鏡だ。

その色が合わないと、私は少しがっかりしてしまう。


今や神社は村の神をそこに住む村人たちのために祀るというより、そこに生活の基盤を置く神主一家が生活していくためにも、ある程度の経済性が求められるところもあるだろう。建物や場所の維持管理だってお金はかかる。

だからある程度は仕方ないと思う。

しかし、その経済性の求め方が、ビジネス社会のように合理的でありすぎたり、心理学に基づいたマーケティング手法を巧妙に駆使していたりすると、私はちょっと引いてしまうのである。


埼玉県川口市にある、とあるそこそこ(地元では)有名なお寺では、卒塔婆に書く文字はなんと手書きではなくプリントアウトしているのだそうだ。そういう機会(プリンター?)があるらしい。

なんて合理的なんだ。御釈迦様もさぞかしびっくりしていることだろう。そのうちお経もウェブでダウンロードしたバーチャル・アイドル和尚の合成音声が奏でるようになるのかもしれない。

卒塔婆はぜひ、私としては是非手書きであってほしいところだ。
むろん、私は手書きで書く和尚さんの苦労を知らず、勝手なことを言って申し訳ないが。ちなみに私がお世話になっているお寺は手書きであり、とてもほっとしている。施餓鬼であれば相当な数を書かねばならないはずで、さぞかし苦労されているだろう。頭が下がる。


新宿の西口をしばらく行ったところに、とある神社がある。富士塚があるらしく、それを見に行ったところ、工事中で見ることができなかった。
なんの工事か。

なんと高層マンションを建設していたのだ。

この神社、反対する氏子一同を押し切り、神主一家が神社敷地内にマンションの建設を進めていた。むろん神主一家にも言い分があるのはわかるが、氏子あっての神社ではないの?神社は氏子のものか、それとも神主のものなのか、それとも・・・。本当に残念に思う。


少し前の記事だが、あるサイトにこんなことが書かれていた。

初詣参拝9820万人!凄くて、巧妙な「神社」の手口に学べ。
<ネット上の掲示板でこんな気になるやりとりがあったので記載する。

「神社で以前に祈祷を受けたことがあります。 その後、毎年DMが来て(○○の初穂料送金のための振込用紙つき) 今年は人形(ひとがた)?の紙が同封されていました。 (もしかしたら毎年同封されていたのかも・・・よく見ないで破棄していたので) 正直気味が悪いのですが、この人形って普通にゴミに捨てても大丈夫でしょうか。
また、神社が入金を促すようなDMをよこすことに なんとなく抵抗があるのですが、今時はこれが普通なのでしょうか。 義母が好んでいる神社なので節目には 参拝することが多いのですが、私自身はなんだか違和感があって できれば今後は他の神社に参りたいような気がしています。」 >


一方、次のような反論もあわせてのせている。


<「大祓の人形送ってくるくらい、昨今は普通じゃないの?
私は、奉賛会に入っている都内や地方の神社から送っていただいてます。
師走はともかく、水無月の大祓は平日が多くてなかなか参拝できないので、 そうやって人形を神社から送ってきてくださる方が、私なんかはかえってありがたいと思うのですが……。
観光がてらお参りした神社から送ってくださると、なんだかご縁ができたようで嬉しくなります。 人にもよるんでしょうね。」>

なるほど、色々な見方がある。
後者の意見の人は、大人だと思う。

残念なことに、私は前者の考えに近い。
私自身にも、次のような経験がある。


埼玉県の川沿い(元荒川)に、とある神社がある。
自然の残された静かな川面。涼しげな風が境内を静かに吹き抜け、心を癒される。お参りをして、ふと御神籤に目がとまる。ちゃらちゃらした今風の御神籤がならんでいる。名前と住所を記帳し、物販に力を入れているらしき社務所を軽く眺めて帰った。

しばらくして、この神社からのダイレクトメールが自宅に届いた。

封筒をあけると、中には神事の案内文と、人形(ひとがた・・・人の形をした紙)、振替払込用紙、返信用封筒が入っている。
人形に名前と住所を書き、同封の返信用封筒に入れて送ってくれ、お金は振替用紙で払ってくれ、というようなことが書かれていた。

返信用封筒はちゃんと郵便局で所定の手続きをしているらしく、一定の取扱量がないと利用できないであろう料金受取人払の封筒だ。
そして、もう一度送られてきた封筒に目を向けると、バーコードのシールが貼られている。どうやら渋谷のベンチャー系DM会社に発送業務を委託しているらしい。その会社のウェブサイトを見ると「開封率アップの秘密、教えます」とある。効果的なダイレクトメールの送り方を熟知しているプロなのだろう。きっと、効果があるのだと思う。
私には効果がないけれど。


もちろんこの神社、別に悪いことをしているわけではない。
ただ、こうしなければ神社さえも生き残れないのかと感じさせられる、今の時代がとてつもなく残念に感じる。
そして、これを残念だと感じる私は、きっと少数派なのだと思う。

普通の人がこのブログを見たら、私の頭はおかしいと思われてしまうのかもしれない。ちょっと幼稚な憤りかもしれない。

これをネタに神社にクレームなどを入れてブログで報告しようものなら、きっと大炎上するだろう。
赤ちゃんの泣き声がウルサイと航空会社にクレームを入れた作家さんや、病院で番号で呼ばれたことに立腹し1万円以上もする診察代を払った上得意のもとに来ないで呼びつけるとは何事だとキレた岩手県会議員のように。


なので、私は神社名を書かないし、もちろんクレームも入れない。炎上しなくても、そんな面倒なことはしないけれど。


ああ、コーポラティズム・・・。
そうつぶやいた、私の声がむなしく響く。

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