2013年5月30日木曜日

向かい合う神社と、孤独

私が過去の歴史について興味を持ち、自分の住んでいる地域について知ろうとした時に、とても貴重な情報源となったのは神社やお寺です。

気をつけて見るようになると、小さな祠があちこちにあることに気がつきました。

始めて行く土地で神社を探す時、目印となるものがあります。

それは、こんもりとした木々。

住宅街を歩いていて、ふと遠くにこんもりとした森が見えた場合、「あ、神社か何かがあるのかな?」と見当がつきます。

自然を残すという意味においても、貴重な場所ですよね。



さて、なぜ私が神社について興味を持ち始めたか。

2つの理由があります。

1つは上で書いた通り、貴重な情報源となるため。
神社はずっと昔からそこにあり、時に人々の生活に密着してきました。
なので、石碑やら寄進されたものやら、色々な情報が残されています。また、縁起として言い伝えが残っていたり、氏子の間で語り継がれてきたり、あるいは歴史の節目節目に、地域の風習や歴史について興味を持った人々が記録を残したり。
本当に貴重な情報源となります。


もう1つの理由は、私の住んでいる地域にある、とある不思議な神社の存在です。

私の住んでいる地域は、有名な寺社があるわけでもなく、観光資源があるわけでもないので、珍しい神社があるというわけではありません。

何が不思議なのかというと、その立地。

南北に延びる道があるのですが、そこに対面するように2つの神社が向かいあっているのです。

この神社も他の神社と同様、昔からあるので、江戸時代に描かれた絵巻にも、その姿が残されています。

これが、その絵図です。



どうです?
向かいあっているでしょう?

今もこの向かい合う神社は存在していて、周囲の風景は違えど、昔と同じように対面しているのです。

今となっては、私なりに「向かい合う理由」の自分なりの解釈は立てていますが、昔は何とも神秘的に感じていました。

それこそ子供の頃には、

「もしかしたら、この鳥居と鳥居の間には、異次元へと通じる不可思議な力が発生しているのかもしれない」

なんて、相当突飛な夢想をしていたものです。

そんなこんながあり、いまだに「神社とは不可侵で神秘的な空間である」という、スピリチュアルにハマりそうな意識が、私の心の底の方にこびりついているのです。

それが、神社に対して関心を持つ好奇心の1つになっていると思います。


ちなみに、私は神社好きにしては珍しく、スピリチュアルにはまったく興味がありません。
パワースポットにもまったく興味なし。
スピリチュアルにハマりそうな下地はあるのに、スピリチュアル思考にま~ったく興味がわかない。


こんな私って、不幸でしょうか?


神社好きなのに、スピリチュアルに興味がなく、

更に言うと、歴史好きなのに、戦国武将に興味がない。


・・・ちょっと、孤独・・・。

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