2014年3月13日木曜日

悪縁を切る方法・・・どうしても離れたい人のために。

どうしても離れたい人がいる。
そういう人には、縁切榎をご紹介したい。


ここ数年、ストーカー殺人などの嫌な事件をたびたび目にする。
別れたいのにしつこく付きまとう。
挙げ句の果ては、凶行に及ぶ。
被害者や遺族の気持ちを思うと、まったくやるせない。


ストーカーに限らず、悪縁というのは色々とあるものだ。


人という字は人と人とが支えあって・・・なんて言われる通り、人は人との関係性なしには生きられない。

同じクラスの嫌な奴。
意地悪なご近所。
パワハラ上司。
DVを繰り返す配偶者。

社会に生きていれば、離れたくても簡単に離れることもできない。

色々と手を尽くして、最後にすがるのは、カミだ。


そう。
古来から伝わる最後の手段。
奥の手。
これを人は、神頼みという。

縁切榎は東京の板橋区にある。駅なら都営三田線の板橋本町駅から徒歩5~6分。中山道の、たぶんあそこは旧道かな。



とても狭い敷地で、境内は横に人2列になるとそれでいっぱい。

まず、目を引くのはこの狭い境内に大量の絵馬が奉納されているところ。
めちゃくちゃたくさんある。

内容を見てみると・・・正直、怖くなる。
実名で書いてあることが多く、「この●●に不幸が訪れ、私の目の前から消え失せますように」というような、隠そうともしないむき出しの恨みや呪詛が書き込まれている。

よほど縁を切りたいのだろう。

この縁切榎は良縁を結び、悪縁を断つということで、江戸の昔から信奉されていて、今だにテレビなどで紹介されることも多く、参拝者は結構多い。

実はここ、神社としては大六天神社である。大六天神社の御神木である榎の木が、縁切り榎というわけ。

もともとは江戸時代、旗本の近藤登之助の屋敷が向かいのあたりにあり、その垣根の際に榎と槻の古木があったそうだ。
その榎がいつの頃からか縁切り榎と呼ばれるようになり、嫁入りの際には縁起が悪いとこの下を通ることを敬遠されるようになった。将軍家へ嫁ぐような方も避けて通ったほどで、本当に広く話が伝わっていたのだと思う。

榎の木の皮を煎じて飲ませれば別れられるという俗信もあったようで、今の榎は削がれないように守られている。
ちなみに、今の榎は三代目で、先代榎は石に塗り込められている。

絵馬といい、埋め込まれた先代榎といい、何だか色々と異様な雰囲気を感じる社だ。

縁を切りたい。
その思いは、その願いを持つものにとって、本当に切なるものがあるのだろう。


ところで、世の中には「25人に1人、良心を持たない人がいる」と言われている。
25人に1人ということは、つまり4%だ。


良心を持たないというのは分かりにくいが、良心の呵責がないということだ。
つまり、人が傷つくことを平気でやれる人間。

自分の利が優先で、相手のことはかまわない。この“良心を持たない人”というのが攻撃的であった場合、いわゆる連続殺人犯となる。“良心を持たない”全ての人が殺人犯になるわけではないようで、表面上、普通に暮らして、殺しもせず、しかし人を傷つけて生きている。

良心の呵責がないのも当然だ。良心そのものがないのだから。


私たちの多くは、蚊を叩くのに躊躇しない。

しかし、もし仮に周りの目がそれを許さなかったら、少なくともひと目のある所では蚊を殺さないだろう。
犬将軍こと徳川綱吉の時代に犯罪率が低下して、更には犬を食べなくなったように、周囲の目というやつが抑止力として働くことがある。

それと同じことで、先ほど“良心をもたない人”は4%いると書いたが、これはアメリカでの数字。
日本では文化的に(おそらく、ムラ社会とか、周囲の目、空気とか、そのへんが原因?)それより大幅に少ないのではないかと言われている。

しかし、そういう種の人はいるわけで、しかもこいつらは表面上、魅力的に見えることが多いそうだ。なので、深い付き合いのない人から見るとその脅威が伝わらず、周囲の人になかなか理解してもらえないという。

もしこのような、手ごわい“良心を持たない”人間に出会ってしまった場合、どうするべきか。

この“良心のない人”について調べたマーサスタウト女史は、こう言っている。

「できるだけ遠くに、すぐに逃げろ」。

それしか方法はないらしい。

相手を変えるのは不可能。
周囲の理解や援助も難しい。
なので、逃げろ、と。
それしかない、と。

この「良心のない人」について知りたい人はマーサ スタウト女史の本が出ているので、興味のある人は読んでみるといいと思う。幸い、少し前に文庫で発売された。


良心をもたない人たち (草思社文庫)

まぁ、良心がない人とまではいかなくても、縁を切りたいという人はいるだろう。

縁を切るために、専門家の手を借りるなり、するべきことはしておくべきだ。
その上で、最後の最後には神頼み。
縁切り榎で願をかけよう。

ということで。

で、ようやくここからが私が一番興味のある部分なのだが・・・。
なぜ、縁切り榎の榎は「縁切り」となったのか。

先ほども書いたが、ここは大六天神社である。
大六天の神は、どちらかというと子孫繁栄に霊験ありのはずだ。
大六天と、「第」ではなく「大」とあることから、おそらく山倉山の大六天様だろう。
何かしらの願掛けをして、それが成就しての大六天神社だと推測する。

で、その大六天神社の、御神木ともいわれる榎の木。これが何故、縁切りの木になってしまったのか?

縁(えん)と榎、この関係は明白である(たぶん・・・(ーー;)わたし的には)。

つまり、榎→えのき→えんの木。
榎は縁の木と呼ばれることがある。

縁の木と、大六天。

これだけなら、どっからどう見ても子孫繁栄。どちらかというと、良縁の名所となるはず、と言うか、なるべきである。

ところが、なぜ縁は切られる方向に向いたのか?

元々屋敷のあったという近藤家に何かがあったのか?

今となってはわからない。

答えはわからないが、1つ参考にしたい話がある。
この板橋から少し離れた相模原(神奈川県)に、榎神社という社がある。

ここには照手姫伝説という話が伝わっている。

あらすじは、こうだ。

「ある時代・・・・この地に横山将監と言う豪族が住んでおり、照手姫はその娘として生まれ美女として誉れ高いお姫様だった。姫は美男で評判の小栗判官と恋仲になるが、皮肉な事に小栗は父の将監の敵方である。迷い悲しんだ末に、ついに姫は父を捨てて小栗のもとへ走ってしまう。しかし、戦国時代の武士の世界は厳しく、小栗判官によって姫の父親である将監とその横山一族は、滅ぼされてしまうのでした。照手姫伝説は、戦国の若い男女の悲恋物語で、恋愛は肉親の情をも断ち切る話として伝えられている。」
照手姫伝説

榎神社の社名のいわれは、照手姫がさした杖が根付いたことからで、枝が下を向いた逆さ榎であったと伝えられている(現在の榎、こちらは二代目)。

さて、結論には至らないので保留だが、いちおう、現段階での私の見解。


板橋の縁切榎は、悪縁を断つ。
照手姫は、愛する人とは結ばれた(?)かもしれないが、悲劇の結末を迎え、肉親との縁は切られてしまう。
本来、縁の木ということで縁起の良い話につながりそうな榎に、こうした逆の話、つまり縁が切れる話があるのは、何故か?

それぞれの元となる古層の榎にまつわる説話でもあったのか、それとも「逆さ榎」で縁を逆にされた、とか?板橋の縁切り榎、初代は逆さ榎だったという可能性は、なくはない?

0 件のコメント:

コメントを投稿