2014年1月23日木曜日

浦寺の浦は何のウラ?

急に、ふと、浦寺という地名が気になった。

私のいう浦寺というのは、今の川口市、少し前までは鳩ヶ谷市にあり、今では桜町と呼ばれている場所だ。地名としてはほぼ消えてしまった浦寺だけれど、昔は浦寺村という一村だった。

寺というのは、近くに地蔵院や法性寺が、そしてかつては地蔵堂や観音院があったようなので、その関係なんだろうと思う。


気になるのは、浦。

この浦というのは、どういう意味だろうか?

ざっと推測すると・・・。

①海岸や水辺を指す、浦か。
②それとも、裏から転じたのか。
③あるいは、上から転じたのか。

気になる。
鳩ヶ谷には郷土史や歴史に興味を持っている人が多いので、あるいは既にどこかの本か資料に既出なのかもしれない。今度図書館に行く用でもあったら調べてみたい。

それにしても、浦寺のように、地名が消えてしまうのは残念なことだと思う。まだ浦寺くらいの規模であれば、“地名の記憶”そのものが消えてしまうことは無いと思うけど、たとえば小字なんてすぐにわからなくなってしまう。

例えば、旧浦寺村の隣に位置する西新井宿村(現在の川口市大字西新井宿)には、屋敷添という小字があったらしいが、どこにあったのか検討もつかない。
また、旧前川村(現在の川口市前川)には、笠脱という小字があったそうで、そこに平六代(清盛の曾孫)が落ち延びてきたという伝説があるのだけれど、ここもどこだかわからない。

「わからなくても、問題ないじゃないか」と言われればそれまでだけど、何だかもったいない気がするのですよ。
地名ってやっぱり、意味なくつけられるわけではないので。その土地の特質、特徴からつけられると思うので。いわば先人たちから受け継がれる知なわけで、最近では災害地名だなんて言われて防災に役立つのではないかという指摘もあります。






地名を変えて、地面の表面をならして建物立てちゃえば、そこがどんな場所なのかわからなくなる。

ところで冒頭の浦寺の浦ですが、地名には色々な説があって、どれが正しいのか判断しがたい。しかしながら、ここではあえて、【浦→海岸や水辺を指す説】で考えてみる。

鳩ヶ谷の地名由来の一説には、波止場のハト、つまり波を止める港、船着場のある谷から来た、という説がある。

近くに川口市神戸(ごうど)があるが、戸のつく地名も旧海岸や川添いに多い。例えば、松戸、八戸、水戸、江戸、登戸、そして兵庫の神戸(こうべ)など。

隣の市である浦和の浦にも、かつて近くまで海が来ていたという1つの説がある。
また、浦和には岸という地名もある。

浦寺にしろ、鳩ヶ谷にしろ、神戸にしろ、浦和、岸にしろ、いずれも高台と低地とが入り組んだ場所に位置しているという共通点がある。


間違いなく、縄文時代には海が来ていたものと思うけれど、果たして地名に影響するほどのことなのかはわからない。色々と想像力を刺激してくれるのだけれど、これは1つの説であるという点には留意しておく必要があるだろう。

そういえば、浦寺の小字には何があったっけ?
神戸村や岸村は?

今度調べてみよう。

地名が何かを教えてくれるかもしれない。

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