2014年7月18日金曜日

貧乏神に資産運用の相談をしたりしなかったり。

神社には様々なご利益がある。

縁結びとか、出世とか、病気平癒とか。

私もそうだけれど、大抵の人は何となくお祈りしていると思う。
初詣であれば有り体な内容―例えば、家族の健康や健やかな毎日をとか、その年に立てた目標に関することとか・・・を。または、何がしかの目玉商品的ご利益のある神様であれば、その内容に沿った願いを・・・。


神或いは神社って、病院に似ている。

診療科目がズラリと並んでいる大きな病院もあれば、例えば、ガンや耳鼻など特定の病気や部位を専門とする病院もある。大きな病院の中にも特定の疾患で有名な専門医もいるし、町の小さなクリニックの一人の医師が幅広い病気を診る場合もある。(日本の医師免許は専門科目別ではないので何の診療科目を掲げてもいい)

神社も特定の悩みに専門特化しているとこもあれば、かといってこの分野の願いしか聞かないというわけでもない。
でもやっぱり、特定の悩みがあれば、その分野の専門のエキスパートにお願いしたいというのが人情だ。


しかし、色々な神社を回って調べ歩くうちに、あることに気がついた。
それは、非常に多くの神社において祭神が入れ替わっている、ということ。

例えば、
「Aという神社は●という神さまを祭っているが、もともとは■という神さまを祀っていた」
なんて事が、結構な割合で存在している。
入れ替わっていることが公になっているのであればまだマシな方で、コソッと、いつの間にか・・・或いは有無を言わさず強引に入れ替わりさも最初からそこに居たような顔をして元の神についてはほぼスルーして、なんてケースも。


別の問題もある。

神社の神さまというのは、本来その場所にずっといらっしゃるわけではない。
依り代となる御神体というものがあり、そこに神は宿り得る。神さまは神社、というか御神体にずっと常駐・在席しているわけではなく、鈴を鳴らしたり祝詞を唱えたり、一連の儀式を経て御神体なりその神性な場なりに呼ぶことができる・・・ということで、このご神体は神にかかわる非常に重要というか、神社が神社たる存在意義にかかわる不可欠なものだ。
その御神体そのものが昔と変わってしまっているという事も多いようだった。
その理由も、災害で紛失したとか盗まれたとかいう事情だったり、明治の国家神道統一の過程で鏡に統一されたりと、色々な理由があるようだが・・・。


神さまも入れ替わっている。
御神体も入れ替わっている。

これって・・・。


そもそも。
私たちは神社でお祈りをするわけだけれども、そもそも誰(何)に向かってお祈りをしているのか。何かをお願いするにしても、そのお願いをする相手について知ろうともせず、何も考えずに祈っていた。願っていた。

これはつまり、病気になってしまったので腕のいいお医者さんに診てもらいたいと思いながらも、自衛隊の幕僚長に診てもらいに行ったなんて事をしているようなものだ。・・・いや違うか。


ともかく、そのことに気づいて以来、神社で何事か祈願する場合にはよくよく考えてするようにしている。
相談する相手間違えた、なんて失敗は日常にもよくある事だから。

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