2014年4月28日月曜日

こけしの由来と、名前の意味

少し前に、(別の)ブログで「聖(日知り)とてるてる坊主の末路」という記事を書いた。

てるてる坊主は雨ざらしにされ、人々の願いを一身に背負い、雨が止まねば首をチョン切られてしまう悲しい存在。
見た目は可愛いてるてる坊主だけれど、見方によっては違った側面が見えてくる。

私たちの日常の、割と近くに存在しながら、しかしよくよく考えてみると何だか理不尽な、あるいはゾッとするような習わしが割とある。

そしてそれらは何故か、いつも子どもたちの近くにある。

例えば、「とおりゃんせ」。
例えば、「かごめかごめ」。

たとえば、「こけし」。



「こけし」は子供顔の頭部と、円柱の胴体で構成された木の人形で、東北地方に多い。昔は一家に1つくらいはあったのではないか。日本の代表的な人形といっていいと思う。

しかし、よくよく考えてみれば「こけし」のカタチは手足がなく非常に特徴的だし、そもそも何故「こけし」と呼ぶのか?

この名称は、考えてみれば不思議で、一体どのように付けられたのか。

「こ」と「け」と「し」。

由来は何か?


調べてみると、<「こけし」とは、「子消し」である>という説が出てきた。
どういうことか?

つまり口減らしや堕胎によって亡くなってしまった子供の供養としての「子化身」・・・こけしである・・・・・・、という説である。

何とも恐ろしい話だ。
姥捨て山とは反対で、それの子供版か・・・。

子供を消すから、「子消し(こけし)」。
消された子供を供養するために、子の化身として木の人形である「子化身(こけし)」をつくる。


いかにもありそうな話だ。


しかし・・・。


「こけし」は「子消し」である。こう書くと字面から言っても最もな理由のように感じるが、実はこの説には根拠がないという。ウィキペディアによると、この説の提唱者は民俗学に通じているわけでもなく、この説が提唱される以前には、それを裏付ける文献等もないという。

そもそも「こけし」という名称も、実はある狭い地域で命名されていたものであり、同じ「こけし人形」でも、地域によっては「きぼこ」「こげし」「でく」など様々な名称で呼ばれていたという。そのうち「こけし」という名称が代表的なものとして広まった。

口減らしの供養のために作られた「子消し」の存在の、可能性自体は否定しない。しかし、「子消し」が「こけし」そのものの由来であるとするのは無さそうだ。

では、なぜ「子消し」説が流通したかというと、「こけし」という名称から、さもありそうな字面だから・・・ではないだろうか?

こけし → 子消し

語呂があっているというか、字面があっているというか、何となく納得してしまう。

昔のコミュニケーションの主体は話言葉だったのだけど、文字が流通するようになると、文字の影響を受けて本来の意味が変わってきてしまう、というのはよくあることだ。音の響きに漢字を当てられると、その漢字の持つ意味の影響を受けるようになる。


地名や人の名前、物の名称などもそうで、大抵の場合、綺麗で良い印象の文字を当てようとする。

例えば東京の某所に「鶴前橋」という橋があるのだけれど、今度新しく橋をかけ変えることになり、その名称が「鶴舞橋」となるらしい。

このように徐々に名称が変わってしまったり、その文字から新しい何かがイメージされてしまったり、似た名称から影響を受けたり、という事が、実は結構あるのではないか。

特に口承で伝わってきたもの、たとえば昔話や地名には、そのような影響を受けるモノが多いのではないかと感じる。


特に地名。
地名にはマイナス要素(例えば湿地や災害由来など)が含まれている場合があるが、そんな意味が含まれていると、不動産売買に支障が出る。ゆえに、良いイメージのものに改名されたりすることが結構多い。何とかの園とか、何とかヶ丘とかはほとんどそんな裏事情があるのではないか?新駅が作られる時の駅名も同様である。



美しい名称をつけて、それの価値をあげようという目論見があると邪推する。


それとは反対に、名前の意味が忘れられて、それ自体の存在も消えてしまう場合がある。


例えば、私の住む川口市に道合(みちあい)という場所がある。
ここの、とある場所にはかつて庄陣場という名前の清らかな池があったそうで、この池は近くの農民たちからとても大切にされていたそうだ。「この池を粗末にすると“たたり”がある」とされていた。そして、この池は地元に伝わる説話の舞台にもなっていた。

しかし、「庄陣場」とは一体何か?
思うに、もともとは「精進場」だったのではないか、と推測する。
精進場とは禊を行う場所であり、同じく精進場と呼ばれる池は全国にいくつかあるようだ。

禊をするということは、宗教的な行為をするだけの聖域のような場所が近くにあったはずで、それゆえに「この池を粗末にすると“たたり”がある」とされていたのではないかと思うのだが、「庄陣場」では意味が通らない。本来の伝承では近くに塚などもあったようだが、池も塚も、現在では消滅してしまっている。同時に、そこに付随していた説話も消えかけている。恐らく近い将来、忘れ去られるだろう。


間違って意味が付帯されて広がるものもあれば、意図的に意味をすり替えようという場合もある、一方で、意味が失われて存在自体が忘れ去られていくものもある。
名前とは不思議だ。


あなたが住んでいる地元の、目立たない地名なんかに気をつけて欲しい。


バス停の名前、橋の名称、小さな神社の名前。
誰にも気づかれていないが、もしかしたら貴重な物語を宿しているかもしれない。
気づかれるのを待っているのかもしれない。



地名は災害を警告する ~由来を知り わが身を守る (tanQブックス)



誰かに教えたくなる「社名」の由来 (講談社+α文庫)



こけし てづくり手帖 (レディブティックシリーズno.3722)



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