2014年3月20日木曜日

雑感、ウクライナとルワンダと日本人

最近はなかなか時間がなくて、ブログの管理画面をあまりチェックできない。

管理画面を見ると、簡単なアクセス解析を見ることができる。昨日は何件のアクセスがあった、とか、どのページのアクセスが多いか、とか、簡単な内容だけど。

で、そのアクセス解析では、国別のアクセス数もわかるようになっている。



昨日、ウクライナから2件のアクセスがあった。


今話題のウクライナ。


当然、このブログのコンテンツに興味があってアクセスしたわけではない・・・だろうと思う。


海外からのアクセスは割とあって、例えば1日にロシアから100以上のアクセスがあったりする場合もある。素人なのでよくわからないが、多分、内容に興味があって見に来ているわけではなくて、ロボットだとか広告だとかで機械的にアクセスがあるんだろうと推測している。
そりゃそうだ。ロシアの人に1日限定で興味を持たれる理由なんてない。


にしても、ウクライナかー。

今、大変だよね、ウクライナ。


今までは西側サイドの情報ばかりしか流れてこなかったけど、今は東側サイドの情報も、少しではあるが流れる。イラクの大量破壊兵器の件や、北アフリカ・アラブの春などの一連の情報を見ていると、どっちが悪いのか何なのか、よくわからなくなってくる。


政府は必ず嘘をつく アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること 角川SSC新書

要するに勧善懲悪、どちらかが一方的に悪いなんてことは、少なくとも国際政治の中にはないんだろうな、と、当たり前のことながら思う。今更だけど。


90年代に、ルワンダでジェノサイドが発生した。
ジェノサイドとは、1つの民族や人種などを抹殺する虐殺行為を言う。

特にルワンダのそれは、遠い過去のことではなく、割と最近に起こったことだ。映画などにも取り上げられているので、知っている人も多いと思う。




ルワンダの虐殺を簡単に説明すると、多数派のフツ族が、少数派のツチ族を虐殺した(穏健派のフツ族も含まれる)という民族紛争なのだが、ではこの2つの民族は何が異なるのかというと、実は何も異ならない。言語も同じ、宗教も同じ。かつての植民地政策のなかで、人工的に分けられたと言われている。

隣近所の住んでいた、ほぼ同じ民族が、やがて壮絶に殺し合うというのは何とも恐ろしい事態である。国連も、世界の警察たるアメリカも、このジェノサイドでは無力、というか、無関心ですらあった。

「虐殺したフツ族ってーのはひどい民族だな!」

とは思うが、事はそう単純なものでもないのかもしれない。投資家の橘氏のコラム「“悲惨な現場”を求めるNGOの活動がアフリカで招いた不都合な真実」は必読だと思う。


何故にここまで話がこじれるのか。人間のダークサイド。負の一面。若くして病に倒れた故・伊藤計劃氏のSF小説の中に、「虐殺の文法」というのが出てくる。この文法を駆使することで、人工的に虐殺を発生させるという話なのだが、本当に、人間にはどこかにそういうスイッチのようなものでもあるんじゃないかと疑りたくなる。特に、ここ最近の民族意識の世界的な高まりを見ていると、余計に・・・。


虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)


まぁ、難しい時代ですよ。

私たち日本人は、この揺れ動く時代をどのように生きるのか。
かつて山本七平さんが、このように書いていた。

「日本人は東アジアの最後進民族です。(中略)当時(縄文後期)の中国と日本とを比較した人がいたとしたら、その文化格差は、まさに絶望的懸隔と見えたでしょう。常にそう見られて不思議でない民族なんです。それが何かの刺激で恐ろしいばかりの速度で駆け出すというだけです。いわば人類史を駆け抜けてきた民族なんです。」
日本人とは何か。―神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (NON SELECT)


民族意識の高まりに警鐘を鳴らしたあとに民族意識を煽るのか、と思われるかもしれないが、そうではない。私達が今持つ、世界から絶賛される良い側面を失わず、世界に広められることを期待したいのである。この誇りは捨て去らないで欲しい。


ぜひ、良い方向に。

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