2014年2月14日金曜日

第六天についての途中経過

このブログでは、これまでに何度か、 “第六天” というテーマについて書いている。

主なところでは、下記のような内容。

第六天神社へ・・・欲界天の最高所に宮殿を備える超強力な天魔を祀る神社

光るご神体~武蔵第六天神社の続き話

第六天について要約すると、こんな感じ。

・明治以前には主に関東を中心に数百という単位で社・祠があった。
・大六天とは、仏教における天のうち、欲界にある六欲天の最上層の他化自在天をいう。
・天魔波旬(てんまはじゅん)とか魔王と呼ばれる(信長が自称したという話は有名)。
・身の丈2里、寿命は人間の1600歳を1日とし、1万6千歳の長寿。常に多くの眷属を率いる。
・明治の神仏分離・廃仏毀釈を経て、ほとんどが御祭神や社号を変更してしまった。

と、何だか凄いことになっているのだが、結局のところ謎が多く、あまりよくわかっていない。

なんといっても第六天の各社・祠は、その神様を変えてしまったり、名称を変えてしまったり、リニューアルどころではない変身を遂げているため、深刻な系譜の断絶があったと思える。


しかしながら、注意深く、よ~く目を凝らしてみると、意外とあちこちに「第六天」の痕跡を見つけることができる。

例えば埼玉の岩槻には、武蔵第六天神社がある。ただし、主神は面足尊(おもたるのみこと)と吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと) となっている。
都内にも、目黒区や台東区、杉並区など、また神奈川にも多くの第六天神社が残っているが、御祭神は変わってしまっている。

東京の葛飾区や墨田区にある高木神社は、社号と祭神が変えられてしまったケースで、現在の御祭神は高皇産霊尊(神)である。
足立区や荒川区あたりに多い胡録神社も、もとは第六天だった。


さて、この第六天についてもう少し調べてみようと思っていたのだが、思っていた以上に奥が深い。

単純に「すごい力を持った神?様だから、人気が出た」というものでもなさそう。

正直、お手上げに近い状態なのだが、このブログのサブタイトルは「記録ま末後のひと言」である。何かしら書き記し残そうというのが趣旨の1つである。

なので、中途半端ではあるが、途中経過として、書き記したい。


とりあえず、現時点でいただいた情報、或いは私自身の推測などを箇条書きで書く。

いずれ、まとめに挑戦したい。

・各地に「第六天」と「大六天」がある。また、社ではなく宮とつく場合がある。大切な社号に意味なく違いが生まれたとは考えにくい。

・総本山や総本宮がある。例えば、山倉山観福寺は大六天の総本山であるとのご指摘をいただいた。それによると、「西暦815年 弘法大師が当山に勧請する。正式名称「他化自在天王宮」通称山倉様、第(大六天)明治2年5月24に現山倉大神より別当観福寺に遷座される。江戸時代に 地域を巡拝して災難を救ってクレタ事で村の祀神として(氏神)とした。」 魔王というより守護人であるという。

・第六天に関係あるとされる仏典、日本神話の神を列挙→(理趣経・真言宗で常時読誦される経典、日蓮、大国主、、、)

今日はこのへんで・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿